***7/30ブレスワーク、受付中です!



東京は完全に夏で、自分は相変わらずやることにひたすら追われ(時間の使い方が下手なだけなのだと思います…)、そして勝手に花は咲く、ということで先日、部屋のエキスナンサスが咲いていてびっくり。





場所がちょっと高いのでうまく撮影できていませんが、何がびっくりかというと気づかないうちに咲いていたこともさることながら、これを買ったとき、隣に下がっていた鉢では小さな白い花がたくさん咲いてたんですよ、だからうちも白いのが咲くと思うじゃないですか、そしたらこの色この形ですよ、驚きましたよね。


で、さらに驚いたのが、一昨日くらいのこと。

気づけばこんなことに。





あなたがたは誰なんだと。

最初のは花じゃなかったのかと。

いわゆる第二形態というやつなのかよと。



で、別のところでもはじまり、中をみてみると、どうやら最初は蕾の状態で出てくるようなのですね。






そして先ほど、中はどうなってるんだろうなーいったいどんな感じなのだろうなーと思っていたら、最初の方が「こんな感じなんですよ」と、まるで教えてくれるかのようにぽとりと落下。





ああそうなのですね、不思議ですね、ということで、

ほんとに植物は予想がつきませんね。




さて今月の呼吸のクラスも先週終わり、2週目のワークのご感想をいただいていますので、ご紹介します。

Yさんからのご感想です。



*****


感動を忘れないうちに書き留めます笑

スケジュール的にしばらくバタバタした毎日だったのですが、これまでで1番興味深いワークでした。


最初はしばらく思考にあれこれ邪魔をされたのですが、自分の輪郭の内側をずっと深く入っていくと、もはや自分が自分であるという認識ができなくなってそこは宇宙というか、外と同じものでした。


私はそこでありのままの自分をみて、それと一体化してその状態であることにただ、満たされました。


そこには自分をジャッジするマインドはいませんでした。呼吸は境界のない自分に集まっては散らばりを繰り返して、時間も制限もない自由で幸せな空間だけがありました。

なので最後なかなか自分の輪郭に自分がおさまらなかったです笑


そして、実は今日の経験は一昨日とシンクロしていました。この自分という分離がなくなる感覚は、つい一昨日感じたばかりのものだったので、とても不思議な気がしました。


実はあるイベントのための看板を頼まれて描いたのです。

朝行って描き始めて、気づいたら1時で、あわててパンをつまんで、次に気づいたら夕方の5時を回っていました。その時の感覚と同じだったのです。


私が内側を私で満たし自分であることを楽しんでいた、つまり本質に戻っていたのだと思います。


私にとって絵を描くことは自分の本質に戻ることなのだと思いました。もちろん見てもらえるとか評価してもらえれば嬉しいですし、お金になればさらに嬉しいです。


でもそれ以前に本質にもどれる瞬間のようで、それで子供の頃から描くのが好きだったのかと思いました。逃避ではなく回帰だったのかと。


大切な経験と大きなヒントをありがとうございました。

クラスでEzumiさんが言われていたように、内側の自分に会いに行きましょうと言われていたら、そこまでの体験ができたかどうか…


とても面白かったです。

そして皆さんのシェアもとても面白かったです。

ありがとうございました!



*****



今月は「つながり」をテーマに行ってみたのですが、まずは自分が普段何とつながっているのかを知る、ということをわりとしつこくみていきました。


いま自分がつながっているものと、これからもつながり続けたいのか、そしてわたしたちは、あらゆるものとつながりをもつことができるのだということ、

だとするならいったい何とつながりますかと。


で、1週目はひとつの提案として「大地や地球」というものとのつながり。

グラウンディング再考、別視点でのアプローチみたいな感じ、ほんとはわたしたち、別につながっていないわけなんかではなく、どんな状態状況であろうと、片時も離れていない、支えられまくっているという“事実”。



そして2週目は「自分」というものとのつながり。

正直なところ、これはどういった領域、イメージを想定するかをいろいろ考えて、わからないひともいるだろうなと思いつつ実験的にやってみました。


Yさんのご感想のにあるように、「内側の自分」という想定ではだめなんですよね、もう。

というか、そもそも自分というものはどこにいるのだと、自分の中/内にほんとの自分というものはいるのかと、

そういった問いかけでもありました。これはマインドには理解できないこと。


だから、わからなくていいんです。

ただ、わからない、で終わらずまたわからないことを責めたりなどは絶対にせず、

そのわからなさに開いていただけたらなと。



わたしたち、ほんとでかいんですよね、途方もなく。

同時にめっちゃ小さい。もうびっくりするくらい。



最近、知ってるひと、そしておたがい全然知らないひとからの思いもよらない連絡をはじめ、

昨夜は20年来の親友から、昨今の状況に関する自分の思いや疑問などを書き綴った熱いメールが届き、

なんというか価値観、視点の転換、もっといえばありのままにものをみることへの抵抗、でも正解などというものは人間そのときどきでのジャッジでしかないことに否が応でも気づかされる感、

けれど判断つけたいという思いとの葛藤、

みたいに揺れとるなーめっちゃ揺れとるなーと、そしてやっぱ人間すげーなーまじすげーなーとさらに思う日々です。



7/30のブレスワークのこと、来週から本格的に音など構成を組みはじめるんですけど、

正直、わたしも今回思いがけずすごい問いかけがあり、どうするのだろうとかなりのチャレンジで、ほんとに愛というものについて、それも無条件、さらに許すということなど、

でかすぎるテーマがせまってきているのですが、

この時期、こうした機会を与えてもらえたことにとりあえず感謝の気持ちと、

同時に人間は死ぬ、少なくともこの肉体とこのマインドで生きるのはこれが最初で最後、という思い、まさにメメント・モリ的にとにかくいまに生きようと、より思うばかりです。


ほんと、いらないことのほうが圧倒的に多いですもんね、

不要なストーリーに悦になってる場合じゃ全然ない、肉体の時間、とても少ない。



というわけで、Yさん、いつもありがとうございます^^

あのワーク、自分の意図が反映された感じでうれしかったです。

逃避ではなく回帰(逃避からの??)、グッとくるワードですね⭐︎



ではまた。

とりあえず熱中症に気をつけつつ(部屋のなかでも)、

どんな自分も、楽しんでいきたいですね(わたしはこれから怒涛の作業ですが楽しめるかな笑)。



***7/30ブレスワークの概要はこちらです!



















※7/30、ひさしぶりにブレスワークを行います!

https://nowherenow.amebaownd.com/posts/18888495?categoryIds=2035848



ひさびさに結構忙しいというか、溜まっていたことをいい加減捌かないといけないというか、とにかくめずらしく一歩も外に出ない日などが続いている感じ、ほぼ家にこもって作業をしています。


と言っても先週から主にやっているのはTシャツ製作なので、楽しいことではあるのですが、デザインが今回なかなかぱしっと決まらない&2型同時にやってる&こまかい作業が多いので煮詰まり気味で、

ほんとは今週中に納品の約束が結局できずとりあえず今日は金曜日なので、プリントするためのボディを先ほどあわててなんとか発注しひと区切り、

気持ちを新たにするためにブログを書いてみようと、のこのこ出てまいりました。


と言ってもまだデザインが完全に終わっていない&明日は呼吸の土曜日クラス、そして月曜は平日クラスでこちらの内容は通常通りまだふんわり状態、

デザインが終わったら今度はシルクスクリーンの製版をしてボディが届いたら刷り、ひたすら刷り、そしてインク定着のためのアイロンがけ、、と作業はまだまだ終わらず。。


だいじょうぶかー自分だいじょうぶなのかーと思ったりもしますが、ライター&編集の仕事をメインにやっていたあの締め切り前の追い詰め追い詰められ続ける地獄の日々を思えば、納品の約束はあっても結局自分発信なのでリスクも基本全部自分、その点でいえばくらべものにならないくらいらくです^^



ここ数年のTシャツ製作は、まず自分が面白いと感じるもの、楽しい気分になるもの、

そして着るひと、それをみるひともにやり、と笑ってくれたらいいなと思ってやっています。


以前はもっとエッジのきいたもの、というかテキストだけをプリントするというスタイルで、社会とかメッセージ性のあるものをやっていたのですが、最近はなんというか、わくわくする感じ、といいつつ結構ひねりが入っていますが、とにかく楽しんでつくってます。


誰かに楽しさや面白さ、自由の気持ち、みたいなものを伝えるのって、いろんなやり方がありますよね。


いちばん最初にTシャツをつくりはじめたのは、かれこれ30年くらい前になるんじゃないですかね(うわすげえ!)、そのときは友人と二人でやっていて、雑誌にとりあげてもらったりして地方のお店からもいくつかオファーをいただいて、そのうちもう工場に出さないと生産が追いつかない、という感じになったのですが、

自分はまだ全然若かったし、そもそも服飾関係に進むつもりもなかったので、そこでやめました。


その後、別のかたちではじめたのは、いまから15,6年前ですかね、名前も一切出さず、ただサイトを立ち上げて、

宣伝もしないし、ブログとかSNS的なものも当時はこんなになかったしもともとやる気もないしで、それでもどこでみつけてくるのか、月に2度くらい注文がありました。


そして、たまたま別のことでみつけたあるお店に行って、店長と意気投合、もともと知り合いでもなんでもなかったのですが、Tシャツを置いてもらうことが決まって、ほそぼそとやっていました。


で、ある日、オーダーのメールフォームが立て続けに届くということがあって、完全にスパムだと思いそのまま捨てようと思ったところ、開いてみると全部注文、いったい何が起こったのだろう、、と思い呆然としていると、

あるオーダーフォームの備考欄に「○○さんのブログでみつけて共感したので注文します」とのメッセージを見つけてびっくり。


その○○さんは、いわゆるカルチャー関係のカリスマといわれている著名人の方で、某ハイブランドやいろいろな企業と普通にコラボレーションしていて、わたしももちろん一方的には知っていたのですが、とにかくびっくり。

すぐに調べてブログをチェックすると、たしかに自分が刷ったTシャツを着ている自撮りの写真が掲載されていました。


さらに驚いたのは、写真以外にどこで買ったとか、どこのブランドだとか、Tシャツのデータが一切明かされていないこと。

にもかかわらず、ファンの方はTシャツのテキストだけでわたしのサイトまでたどり着いたんですよね、すげーほんとすげー。

それから数日間、オーダーは止まらないという状態でした。ほんとすごい影響力です。



と、自分のTシャツにまつわる話を書いてみたのは、

よく自分がやっていることをひろめるためにはブログを書かなければいけないとか宣伝しなければいけないとか、SNSなどでとにかく発信しなければならない、とか言うじゃないですか、

でもそんなこともないんだよと、こうすればこうなる、とか、こうなるためにはこうしなければならない、といった思い込みやDoing思考が必ずしもそこへ運んでくれるわけでは全然なくて。


少なくとも自分はこれまで、このTシャツのことだけでなく、ライターの仕事をはじめたきっかけもそうだしリーディングや音楽のこともそうだし、

言ってみれば自分がやりたいなーとただ思うことについては、ほんとそうしたセオリーのようなこと、なんもしなかったな、と、それを伝えたいと思いました^^




そして先日、呼吸のクラスに参加してくださっているNさんから、doingとbeingのことについてメールをいただきました。

要約してご紹介すると、いろいろな方のyoutubeやブログをみて、そのなかで「自分が一本通っているとdoとbeは一緒に起こるというのがあって、なるほどなーと思いました」とのこと。


*****


昨日自分に久々そういう行動が起こったので☺️

そうなると恐れとか起こしたことに対する不安とか無い状態だなあと思いました。

Ezumiさんの2019年に受けたクラスの申し込む時と似ているんですが、

ちょっと違いもありその時はもうこれは起こっている(申し込むのではなくもうそれに参加している)

みたいな感覚だったな〜と思いました。なので参加に有無を言わせなかったなあ〜と思いました。

しかし感覚は言葉では全て表せない。にほんごむずかしいね。


*****



「自分が一本通っている」ということについては、そうおっしゃった方の真意はわからないのですが、

自分が感じているのは、「BODY, MIND, SPIRITが一体になっている感覚」ですね。

からだも、こころ/頭も、魂も、全領域の自分が。


たとえばdoingでやろうとすると、“わたし” が、“自分(の力)” で、“思う通り” に “やる(得る、達成する)” になるわけですが、

思う通り、つまり思考にしたがっていく意味合いが強い、というか、「わたしが〜やる」の時点でもう頭/エゴ/マインドの描くストーリーなんですね、だからうまくいったりいかなかったりする、もっといえば、“思う通りにいったり” “いかなかったり” する。


それは過去を参照したデータベース(誰かがやってうまくいったから、というのも含めて)のなかから似ていると思われるケースをひろってプロセスを組み立てるからなんじゃないかと思います。


beingの場合は、極端な言い方をすれば、“わたし” が“思わない” “やらない” んですね、こう在りたいというコミットが起こった時点でそこに応じた行動や動きが発生する、というか、すでにひとつなんです。


わたしたちは時間の概念を採用しているので、プロセス、段階を経験するため、「何かを得るためには何かをしなくてはならない」という思考にのっとって行動しがちなのですが、

beingは存在そのものなので、ほんとうは時間の関与がないんです。

ただこの地球上、時間の概念が採用されているために、プロセスを経験しているだけで。


だから、Nさんの言葉をかりると「もうこれは起こっている/もうそれに参加している」といった感覚になるんですよね。



これは思考に乗っからないだけ、誰かや何かとくらべないだけ、いいとかわるいとか、合ってる間違ってる、できるできないといった判断、ジャッジをしないだけ、未来に頭をはたらかせて期待しないだけ、準備しないだけ、状況や何かをコントロールしようとしないだけ。


言葉にするとほんとわかりづらくなりますね、つまり言葉、いいんじゃないですかね。



呼吸のクラスでdoingとbeingのことを最近シツコクやっていたのは、

呼吸がdoとbe、ひとつだからです^^



“わたし” が余計なことをしないと、ほんとに勝手に世界がやってくれます^^

(って、世界がやってあげましょう、とやってくれるわけではないのですが笑)


そのすごさ、壮大さ、ほんとこのちっぽけな頭以上のことしか起こらない。

だから驚きとよろこびの気持ちしか起こらないし、

自然に感謝の思いが起こってくる。

そしてまた世界が動く、その繰り返し。



というわけで、Nさん、いつもシェアをありがとうございます!

関東地方は梅雨明けしたらしいですが、熱中症など気をつけつつ、

いい感じの週末を! 夏を☆




※7月のスケジュールはこちらです!

https://nowherenow.amebaownd.com/posts/18888495?categoryIds=2035848


























※7月のスケジュール出ています!

https://nowherenow.amebaownd.com/posts/18888495?categoryIds=2035848


※8月のオンラインではないクラスの日程について、追記しました。



月曜日から7月の呼吸のクラスがはじまりましたが、今月のテーマは「つながること」について。

自分がいま何とつながっているのか、また何とつながりたいのかを知る、実際につながってみる、すでにつながっているものを確認してみる、みたいなことをしつつ、

初回は資料をつかいながら、まずは苦しみや悩み、ご自身が「実際に抱えている問題」を分解してみる、それがどんなふうに構成されていて、どんなふうに自分に作用しているのかをみていくということをやっています。


ちょうどクラスの前日に結構ショックなことがあって、ひさびさに落ち着かなかったため、資料をつくりながら自分でもワークしてみたのですが、

翌日のクラスでは、うぅ、、吐きそう、、、、くらいにのたうちまわっていた自分はどこへ行ったのだろうかというくらいの回復ぶりで、そのせいか気づけば3時間(苦笑)という長時間の内容となりました(平日クラスのみなさん、すみません。。土曜日クラスは淡々とやる予定です笑)。


とりあえず、ご自分の状態をニュートラルにみてみる、という練習になるんじゃないかと思います。たとえ荒れくるう濁流のような感情に巻き込まれたとしても、だんだんその状態を眺めていられるようになっていくし、実際、そこまでになることが少なくなってくると思います。


その感覚はほんとうにほんとうに苦しいけれど、でも、ふと立ち止まってそれを眺めてみると、それ自体には自分を破壊するほどのちからはないこと、巻き込まれながらも自分はここにこうして地面に支えられて存在していること、

そこに気づけたら、少しずつおさまっていきます。そしてそれもやがて過ぎ去っていく。

自分がつかまえて、握りしめさえしなければ。


なぜなら、それは別に自分を苦しめる悪でも呪いのような何かでもなく、

ただの現象にすぎないから。



特に思考や感情、推察、妄想との一体化について、そして普段まったく自然に自分を自分以外のものにしてしまっていることに気づくだけで、軽いもの、腑に落ちたものはそこで解放されてしまいますし、

まだ残るものについても、別の捉え方ができて、無駄な迷いや行動がぐっと減るんじゃないかなと思います。


ここのところ、DoingとBeingについてを結構しつこく(笑)やってきたので、ちょっとわかりにくいと思われた方もいらっしゃるんじゃないかなと思いますが、

今月、特に初回は資料でこまかく説明しているので、なるほど、と思われるんじゃないかなと思います。

土曜日クラスは今週からはじまりますので、よければ参加してみてください^^



それから、前回ちょっと書いたオンラインではなく対面でのクラスについて、

すでに日程のお問い合わせをいくつかいただきました(興味を持ってくださってありがとうございます!)。


いちおうコロナやオリンピックの影響で、考えている場所の予約が1ヶ月前からしかできないこと、さらに同時に希望があった場合は抽選になるとのことで、まだはっきりお知らせできないのですが、

いちおう8月20,21,22日あたり、もしくは27,28,29日あたり、もしくは9月以降で、1日もしくは2日間連続で予定しています。


ただ、このご時世なので、都の要請などで変更の可能性もありのため、とりあえずオリンピックがちゃんと開幕するのかどうかなど見つつ、

どちらにしても、1ヶ月前にはお知らせしますので、お待ちいただければと思います^^


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◆追記◆

※結局、緊急事態宣言発動とのことで、期間中の8/22までは開催しないことにしました。

また諸々決まりましたら、お知らせします!

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というわけで、また。

DoingとBeingについてちょっとご感想いただいたりもしているので、

次回に書けたらと思います。



東京は完全に梅雨っぽくなり、湿気がすごくて溺れそうだよと思いつつも、

きのうの空気の匂いとか全体の温度感とかすごく好きな感じで、

音楽を聴きながら自転車でひと周りしたりしたのですが、

なんというか、この感じだけでいいなあみたいな、

夜は寝る前に、この季節になると聴きたくなる音楽を流しながらベランダでぼんやり夜を眺めながら、ああやっぱりこの感じだけでいいなあみたいな、

つまり、どのシーンでも“この感じ” はもちろんちがうんだけど見つけられるなと、

そしてまた、これだけでいいなあ、みたいな、

なんかうまくまとまりませんけれども、自分は梅雨、そんなに嫌いでもないな、と

そんな感じです(笑)。


ではでは!



※7月の呼吸のクラス&ブレスワークの詳細はこちらに。

https://nowherenow.amebaownd.com/posts/18888495?categoryIds=2035848













※7月のスケジュール出ています!

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きのう、早い時間から雨が上がったので急遽、呼吸のクラスをやってみたいなと思っていた場所の下見に行ってきました。






曇りと晴れ間とときどき小雨、という、雷をのぞけばお天気のフルコースだったせいもあって、なかなかの桃源郷感。






自分は全然写真はうまくないと感じていて、まわりにカメラマンや写真家の友人知人が多いせいもあり、彼ら彼女らの写真をみているとよりそう思うんですけども、

思わず撮りたくなることが多々あります。インスタとかで投稿することもなく、ただ撮ってるだけ。


そして自分の現実/世界のイメージは、まさにこんな感じ。

この一連の画像のような。

(合成ではないです、念のため)






先日、写真のアングルのことや、正しい/間違っているの価値観について思うことを書きましたが、そのことでいくつかメールをいただきました(ありがとうございます、ちゃんと拝見しています^^)。


そのなかで、

「なんでもできるように(いかに私が正しくて相手が間違っているかを知らしめたくて)がんばっている」

「もしも正しさにこだわる自分、がんばる自分がなくなったら、これからどうやって生きていけばいいんだろうと途方に暮れている」

というご感想がありました。


率直に、たいへんだろうなーと思いました。

けれど、この「なんでもできるように」って、気づかないだけで、結構たくさんのひとがそう思っているんじゃないかと思うんですが、どうでしょう。



なんでもできるように、とは思わなくても、自分の正しさを証明したいという思い、わたしもまだ出てくることがあります。


そのたびに気づく。

ああ、理解してほしいと思ってるんだな、まだ傷つけられたと感じてる、その思いが残ってるんだな、と。



わたしに言えるのは、自分、もっとみて、自分が何を思っているのか、どうしてほしいのか/ほしかったのか、まず気づいてあげること、できたら受け容れてあげること。


別に過去生とかまで遡ったり、複雑な手続き、必要ないんですよね、遡ることがだめとか無駄というのではなくてもちろん有効なこともあるし、それがベストなことだってある、すべてはオール・オア・ナッシングではないですから。


ただ、結局そのストーリーを必要としているのは概ね頭で、知ることによる左脳の快楽に気づかない限り、解放にはつながらないんですよね。

このやり方でしかない、なんてことはないということ。


すべてはオール・オア・ナッシングではないですから。


(ちなみに、いま念のため「オール・オア・ナッシング」の意味をあらためて調べてみたのですが、ゼロか100か、正か誤か、白か黒かという在り方を「オール・オア・ナッシング思考」というそうです。)



全部、この“いま” という縁のない超巨大なテーブルにのっけてみる、

否、すでにのっかっていて、というかのっかっていなかったことがないわけですが、

とりあえず立ち止まって、まずはひと呼吸して、

「このパンはいったい何でできているんだろう?」というそれとまったくおんなじ視点でみてみるといいんじゃないでしょうかね。


そのくらい淡々としてていい、というかそうじゃないと感情やもっともらしくみえるけれど実は的外れな思考にもっていかれてしまう、

いやいやこの苦しみはものすごく重要でだから苦しいのであってそんなパンと一緒にできるような代物じゃねえんですよと、たいへんな価値のあることのように祭り上げるのもまた頭ですしね。



上の画像もそうなんですけど、これらの風景をみることは、もうできないんですよね。

似た感じのことはこれからも起こると思うし遭遇することもあると思う、

でも、もうあの雲のかたち、水面、花、草、温度や風、光を少なくとも同時に感じることはないんです、自分がそのときに感じたあれこれもそう、もう過ぎ去ってしまった。


こんなのみたら、つまり世界というものに、太刀打ちなんかできないなあと思ってしまうんですよ、自分のちっちゃな頭で考えられる以上のものしか世界にはないから。




というわけで、また。

クラスではあえてお伝えしていますが、わたしが “正解” ではないです。

わたしと同じように考えたり感じたりする必要は一切、むしろないです。

そこんとこよろしくお願いします、ということで^^



登るのか、登らないのか、どっちなのか、という亀でもみて、ぼーっとなってください^^




※7月の呼吸のクラス&ブレスワークの詳細はこちらに。

https://nowherenow.amebaownd.com/posts/18888495?categoryIds=2035848









※7/30ブレスワークについて更新しました(6/29)



こんにちは。遅くなりましたが、7月のスケジュールです。

今月も呼吸の平日クラスが3回、土曜日クラスが2回、そしてひさしぶりにブレスワークを行ってみようと思います。


呼吸のクラスも8月でちょうど1年。

リクエストをいただいたこともあり、8月はオンラインではなくリアルで行う場を設けたり、ちょうど節目ということで、内容やスケジュールもちょっと変えていこうかなと考えています。

いつも通り、変更あるかも&世の中の状況を鑑みて、決まり次第お伝えします。


というわけで、よければご参加くださいませ!




◆7月の呼吸スケジュール◆



***呼吸のクラス7月*** ←詳細はクリック          


◇平日クラス 10:30〜だいたい2時間 

7月5日(月)、12日(月)、19日(月)


◇土曜日クラス 15:00〜だいたい2時間 

7月10日(土)、17日(土)




*** 7月のブレスワーク *** ←詳細はクリック              

7月30日(金)21:00〜23:00


気づけば今年はじめてのブレスワークです。

今回は、自分を愛すること、自分の価値に気づくこと、それを覆い隠す体内そして頭のなかの不要なあれこれのデトックス、みたいな感じでいけたらと思います。



※複数の日程に参加をご希望の方、お手数ですが、それぞれ別のお申し込みフォームからのお申し込みをお願いいたします(お振込みは合計でだいじょうぶです)!




それでは、一緒に呼吸できるのを、

楽しみにしております☆


















◆呼吸のクラス7月:テーマ『CONNECTED〜何とつながるか』



今月のテーマは「つながること」。

人間というか生物というか生きとし生けるもの、そうでなくても、わたしたちはひとつであると同時に分離していて、だからこそ何とでもつながることができる、つながってしまう。


けれど、ほんとうにつながりを感じているのか。

あるいは、つながりたいものとつながっているか。


つながることへのおそれ、不本意なものとのつながり、自分は何とつながりつながっていないのか等々、

つながるということについて、今回は呼吸を通して自分、地球、そして自分以外の何かとのつながりにフォーカスしてみようと思います。


とても大きいテーマなので、ダイジェストになりますが、その片鱗のようなものを、少しでも感じられたらなと思っています。



日程:

◯平日クラス(10:30〜だいたい2時間):7月5日(月)、12日(月)、19日(月)

◯土曜日クラス(15:00〜だいたい2時間):7月10日(土)、17日(土)


平日クラス3回通し、土曜日クラス2回通し、組み合わせ自由、ドロップインなどお申し込み各種あります。


※クラスについての諸々は、こちらをお読みください。



☆お申し込みはこちらから



よければ、一緒につながる感覚を味わっていきましょう♬







はじめての方でもご参加OKの、深い呼吸をつかったロング・ブレスのワークです。


今回は、自分を愛すること、自分の価値に気づくこと、

それを覆い隠す体内そして頭のなかの不要なあれこれのデトックス、

そして何より「自分が最初から携えている愛の感覚に気づく」みたいな感じでいけたらと思います。


なかでも、いちばんはとにかくここちよくあること。

わたしたちの本来の性質であるここちよさ、そこに留まることに慣れること。


なんにもしなくてもここちよくあっていい、そんな自分を受け容れてみる、

受け容れられなくてもいい、そんな自分をも受け容れてみる、

そして、受け容れられない理由、その背後にある何かに気づけたらいいなと思います。


といいつつ、今回も何が出てくるかはわかりません。


呼吸は、そのときに必要な解放と癒し、そして気づきをもたらしますが、必ずこんなふうになる、という決まったプロセスが展開するわけではなく、むしろ頭、マインド、エゴによるコントロールがなんの役にも立たないことを気づかせてくれます。


たとえば、理由もわからず感情があふれて涙が止まらなくなる人もいれば、声を出したくなったり踊りたくなったり。

またご自身の過去生のヴィジョンがあらわれたり、亡くなった大切な人があらわれたり、インナーチャイルドと対面したり、

あるいはただただ無の状態や、ここちよさを味わったり、頭がすっきりしたりからが軽くなったり等々、

そのときのご自身に起こることが、ただ起こります。



マインドを超えた領域にまかせてみること。

これが自分だと思っているものを手放して、いわば魂が起こらしめる何かにゆだねてみること。自由。

ブレスワークの醍醐味はまさにこれ。



いろいろめまぐるしい昨今ですが、外の事象に惑わされることなく、

起こることは起こるがままにまかせ、内なる自分をあるがままに体験されてください。

夏、この時期のパワーを借りて。



*『7/30ブレスワーク』*

テーマ:愛というものの感覚


★日時:7月30日(金)21:00〜23:00(日本時間)

  ※zoomを使用します(ビデオOFFでもOKです。)

  ※録画はありません。リアルタイムのワークです。


★参加費:2,500円


※お受付の締め切りは、7月30日15:00(ご入金が済んだ方)までとなります。



ご参加にあたってのガイドや注意点がありますので、お申し込みの前に、必ず↓をお読みください。


*ブレスワークご参加のガイドと注意点


◇お申し込みは こちら








わーもう6月も終わるんですね。。

今週、月曜日に今月のクラスが終わってから、新しいセッションでお配りしようと考えているテキストを日々黙々と書いていたらもう金曜日、でびっくりしています。


自分的には今月もいろいろありましたが(笑)、

ほんとに起こることを受け容れて、ただこう在りたいと存在してたらそれでいいんだなーと日々世界、そして自分に対する信頼が増す日々です。



さて、6月のクラスのご感想をいただきましたので、ご紹介しつつ振り返ってみようと思います。

Rさんからのご感想です。



*****



3回を通し、奥底に持っている根深い問題の階段を一段一段降りながら、記憶や意識を確認しながらの日々でした。魂のトラウマとも言える深い深いものでした。

本当に一度立ち止まり、私がそれに対し、どう感じているかを見るだけで問題がハラハラと舞い上がっていきます。


クラスのときは、気付きの度(顕在意識でも潜在意識でも)に涙がポロポロと流れ鼻で呼吸ができず、でも集中しているので、どう息をすればいいんだっけ?と一瞬わからなくなり、

ついつい苦しぃ。となっています、笑!


2枚の画像をみるワークはそれぞれの方の視点があると改めて気付かされ、それは立ち位置、意識、自分が見たい世界を見ていることが参加者の皆さんの声を通じてわかり、

様々な人の立ち位置から見える景色はこれほど違うのか、と驚きました。

そして私が望んでいる世界を私はみていてることも。


クラス後の補足メールで書かれていた「写真を見て恐れが湧き上がること」に関して

そういえば、その感覚を追いかけて見ようとしなかったけど、2枚目の写真の時にうっすらと怖い感覚があって

何か見たくないもののように感じ、一瞬、直視できない感覚になりました。


「無機質でただ整列しているだけ。自分の意思なく、世界を構成する無機質な一部として命じられたことだけをやっている」

ここも私のなかのある部分が反応したようです。

じっくりとそのエナジーを見つめ、動画を再度みながら手放していこうとおもいます。



クラスに初めて参加したときは、この自分ではダメ、まだまだできていない、その意識でしか考えられなくなっている状態でした。

3回を通し、私の受け取っている感覚を信頼していこう、間違いも含め、その間違いが導く解放がある、と思えるようになりました。

先週、Ezumiさんがお話しされていた、いいことを言おうとするその奥にあるものはいったいなんなのか、

ということを見つめてみると、出てくる、出てくる。


お話しされているときに、どれほどこちらがぽか〜んという表情をしていようが、全力で話してくれるので嬉しいです。

思考の理解や言葉の落とし所を探したいわけではなく、そのエネルギーを受け取り、自分のなかをみていく足掛かりをいただいているんだなって。

様々な角度で、様々な段階で剥がれ落ちてきます。



私はなんのスピリチュアルも学んだこともなく、Ezumiさんのリーディングになんの興味も湧かなかったのですが

でも呼吸のクラスは、わぁ参加したい、と思いました。

クラスに参加して自分の内側の感覚を信頼していく上で、呼吸は私が望んでいる手段だったとおもいました。


私の現実を信頼したい、ただ現実に向き合い、現実の些細なことの一つ一つに胸を震わせ生き抜きたい。

スピリチュアルな意味づけなんて必要なく、スピリチュアルを求めて現実と乖離するなんて馬鹿な話だ。



来月も楽しみにしています!

いつも次はどんなことに気づけるのか、どんな話をしてくれるのか、その話に私のどの部分が反応するのか、

毎週月曜日になるのが、楽しみで楽しみでたまりません。



*****



ここのところ、スケジュールの都合もあって、土曜日クラスは2回、平日クラスは3回とさせていただいていて、

今月の平日クラスの最終週は2枚の画像をみて感じること、気づくことなど、「視点」についてのワークをやってみました。


6月のテーマは『New Perspective〜新しいルーティーン』、いままでとはちがう視点でみてみる、という提案。

パースペクティブ、というとちょっとかっこいい感じがするかもですが、

表と裏、内と外、もっといえば白と黒といったある視点とその反対、という二つの側面ではなく、まさに面ではない透視図でみたときのように、

もっともっといろいろな視点があることに気づく、思い出していただけたらな、という意味でそんなタイトルにしてみました。


実際に行ってみると、全員同じ画像をみているわけですから、もちろん共通の視点もありつつ、実際に経験した思い出のようなその方のパーソナルなことや、イメージ、また肉眼、五感外の視点やトラウマのような心理的なものごとの投影など、

さまざまな視点や気づき、そして画像それ自体とは関連のしない思考など、いろいろ出てきてやっぱり面白いなあと思いました。


たとえば何かをみて、そのひとが感じた感覚は、正しいも間違いもないですよね、そう感じるのはおかしいとか、こう感じることが正解だとか、いったい誰の価値観なのか。


けれど、わたしたちはそうしたどこの誰の正解なのかもわからないジャッジをくだされ続けて「間違っている」というほんとに“的外れ”な烙印を押されて傷ついたり、自分はだめなのだと思い込んだり、いつしか自分の感覚がわからなくなってしまったり。

ほんとにくだらねえなあと思う。


と、怒りがわいてきましたが(笑)、

わたしはものごとを決めつけられるのがほんとに嫌いなんですよね、せっまい価値観に閉じ込めないでほしいとずっと思ってきましたね、ひとの決めた正解、なぜそれが正しいとか間違っているといえてしまうのか、ほんとに疑問だった。


それは、自分が肉眼以外のものもみているという性質に起因しているのかもしれない、といま思いましたが、

自分は肉眼でみえるものと、それ以外をたぶんそんなに分けていないんだと思います。

だからこそ、より思うのかなって。

世界、そんなにちっちゃくまとまってなくね? 白と黒だけじゃなくね? って。


でも、これはわたし独自の性質とか能力なんかではなく、みんながそもそもそうした視点をもっている、というかそなわっている機能なんですよね。

なんかいろいろくっつけずにただあるものをそのままにみたら、勝手にみえてきてしまうんですよ、構えたり分けたりしなければ。



実際、今回のクラスでも、五感外の視点でみている方がいらっしゃいました。けれどご自身はそこには気づいていないようで、けれどそれでいいんだと思うんですよ、むしろ分け隔てなく自然。だって、みえるがままにみているだけだから。

「目にみえないものは特別」という“判断” “観念” “価値観” “思考”を持ち込むから、むしろみえなくなるんだと思う。


そして想像力。

ある画像が、実際のそれとは全然ちがうものとして感じる視点。

ここにはその方ご自身の感覚があらわれてきて素敵だなと思うんですよね、それがそのものじゃないからこそ、“まだみたことのない何か”を生む発露となる。



そういえば以前、わたしがあるものを真正面から撮った写真について「普通は真正面から撮らない、横から撮るもの」と言われたことがあってきょとん、だったんですけれども、

普通ってどのあたりの普通なのだろう、しかもなぜひとつの角度から撮ることが正解なのか、まったくわかりませんでした。


いちおう自分は美術の学校に通っていて写真の授業も受けましたが、この被写体はこの角度から撮ることが正解と、教わった記憶はないです。


もちろん、その角度から撮る意味、有効性、表現の話はありますが、

でも、正解がそれしかなかったら、アートってなんなんでしょう。



いろいろな視点がありそのことでまさに眼から鱗、新たな視点を得て感動したり感銘を受けたり、わたしたちの可能性がより開かれていく感覚、希望やある意味においての自己肯定、

だからわくわくするんじゃないのかなって思うんですよね。


そして、それはアートだけでなく、役割としてのスピリチュアルというものでもあるんじゃないかとわたしは思う。



と、わたしのアートやスピリチュアル論はさておき、

Rさん、ありがとうございました!

今後もどんどんご自身をみて、まだみえていないご自身を発見されていってくださいませ!



というわけで、来月はたぶん「つながること」についてをやってみようかなと思っていますがまだわかりません!

スケジュール含め、また後日お知らせしますね。



ではでは、あっという間に上半期も終わりますが、

と言いつつまあ何半期でもいいですよね、自分を生きていたら間違いない。

楽しんで☆






































***6月の呼吸のクラスのスケジュール出ています!



今朝、室内のメンバーの様子をみていると、前の家からずっと水耕栽培のポトスの様子が、引っ越してからイマイチな感じなので、ひさびさにちゃんと花器を洗おうと移動したところ、

なんとウスネオイデス(エアプランツ )の先端に花が!





うっそー咲くとか知らないしなんなのなんなの?? と大興奮。

普段はこんな感じ↓ なので、前にいるメンバーを移動させないと気づかないんですよね。





ちなみに、裏へまわって外からみるとこんな感じ。





これもよくみないと気づけない。



もしかしてほかにも咲いているのでは? と、みてみると、






わかりますか、真ん中の右のほう。


さらに、





真ん中の左側。



そして、これがいつもの視点。






ウスネオイデスに花が咲くなんて全然知らず、予想もしなかったので、驚きとうれしさ倍増でした。


知らないことって、ほんとに豊かだなーと思う、あとから知ることができるもんね。

自分はほんとに必要だと感じるとき以外はあらかじめ調べたりとか全然しないせいか、こうしたことが多いです。

知識はむしろ、自分の感覚や体験の裏付けとか理由を知るとかさらに深めるため、みたいにつかっている気がします。



なんとなく、気配があるんですよね、ふと感じたり、思いついたり。

いのちが宿っていようといなかろうと、その存在の在りか、発するもの、息づいている気配。


なんの先入観も予測もなく、ただそれにしたがってみてみると、

今日はウスネオイデスの花を発見したり、先日は肉体のない男性がいたり。


きのうはきのうで、ひさしぶりにいわゆるハンマーで頭がつん、とやられたようなできごとがあったり。




日々あらゆるものは移り変わり、体験したそばから過ぎてゆく。

いいこと、わるいこと、面白いこと、つまらないこと、

ひとは起こり続けるできごとに意味をつけて笑ったり怒ったりかなしんだりするけれど、

その数センチ先、あるいはもっとずっと遠く、あるいは裏側、上、下、さらに別の表側、

あらゆるところで何かはただ起こり続けている。

その気配に気づく。

そしてまた笑ったり喜んだりかなしんだり。



いい感じの週末を☆



***6月の呼吸のクラス、概要はこちらです。









***6月の呼吸のクラスのスケジュール出ています!



東京はすっかり夏な感じ。

起きてベランダのメンバーの様子を見に行くと、







横からみると、





斜め上方向からみると、






裏側からみると、





たぶん先月の頭くらいだと思うんですけど、売っているのをみつけて、もしかして育ててみたらもっと時間についてわかるのではないか、時間の使い方がうまくできるようになるのではないかというよこしまな気持ちから思い切って苗を購入、

あっという間に咲いたのでびっくりですがうれしい!


去年のいまごろ、もうちょっとあとだったかな? とにかく道でみつけてこのブログにアップしたのが、まさか今年、自分のベランダで開花をみることができるとは、ほんとに面白いですなあ。

あのとき名前を教えてくださった方々、ありがとうございました^^



でも明日、時の記念日なんですよねー(笑)、だったらもっと面白かったのに、と思いつつ、1日早い、というのもこれはこれで、いろんな意味付けができますね(笑)。


ほんと、なんでもいいんですよ、“正解”は自分が決めたらいい。

どこからでも何からでも気づくことができる。


そう思うと、どこもかしこもこたえだらけですよね、ユーミンは目に映るすべてがメッセージとうたっていますがほんとそうですよね、世界はほんとにとてもやさしい。


と、いま思いましたがそれはつまりやはり、すべてがひとつ、それぞれちがう姿かたちだけど同じものだからですよね、姿かたちがちがうからこそわかる、気づく、理解できる、共感し響き合える(いま自分、泣いています笑、そしてスタンディング・オベーション!)。


やっぱ世界やばくね? 最高じゃね???



と、興奮をおさめて、今日も先月の振り返りを。

Kさんからいただいたご感想をご紹介します。



*****



呼吸クラスをありがとうございます。

毎回、ふとしたところに、視点の転換が起きたりで、

日常も、何となく、でも、確かに、軽くなっているのを、実感しております。


呼吸クラスに参加し始めの頃は、

参加すれば、毎回、体も精神もスッキリするのが、嬉しくて、

ワークが上手にできるかなんて、考えもしませんでした。


でも、いつの間にか、イメージワークが上手になりたいなあとか、

感覚を磨きたいなあという思いを持つようになってきて、

体重を手放すワークと、空間と溶け合うワークでは、

それこそ感覚的に、これ、すごいワークだわ、と感じて、

上手にできたい思いが、マックスだったなあと。


で、Ezumiさんが、

感覚抑圧と五感の停止とその先の説明をされたときに、

おお!!!と。

この辺は、まだ、言葉になっていないのですが、

とにかく、すごく、響きました。


ワークの中で、空間を感じたりとかを、上手にできたい思いから、

自分ダメだストーリーが、派生してしまっていたことにも、気づき。

ちなみに、ここ何回かのシェアは、

ワークでの感覚が上手にできたい自分で、言っていたなあと、

書きながら、気づきました(・ ・;)


上手になりたい意図は、持っていてもいいんですよ。

(その上で、)いろいろ出てくる、現れてくるものも、

それもまた、そうしているなあ、と気づいていればいい、

というEzumiさんの言葉。


Ezumiさんは、パン屋さんのお話しとか、

Ezumiさんの(この三次元での)実像を、面白く語ってくれて、共感も湧き、

その中に、私を取り戻す視点も、散りばめられていて、

Ezumiさんを偶像崇拝(大袈裟か?!)することもなく、

へんに依存することもなく、

スッと、コーチというか、その視点が、私の耳に入ってきます。


私の日常も、人間関係では、

Ezumiさんのパン屋さんみたいなことで、大波小波だし、

お金との関係もそうだし、軽くなってきていることも事実ですが、

それでも、色々、持っていかれることも、多しです。

当然、気がつかなければ、

そこから派生する思考が作るストーリーに、

持っていかれっぱなしになるものも、少なくなく。


最近、思うのは、持っていかれているときに、

どれだけ素早く、ああ、持っていかれているなあ、と気付けるか、

というところにいます。


今、そうでしかない自分に気づき、受け入れ、愛してやる。

でも、持っていかれているときは、気づいても、抵抗もありますので、

持っていかれている自分を受け入れるのは、難しいのですが、

抵抗も、抵抗があるなと、見つめてやることを、やってみる。


ただ、それだけをしていると、

いつの間にか、自分にしっくりする being

(今の私は、平和さとか、WinWinが、しっくりします)に、

切り替わっていっているような、感じもあって・・・。


全般的に思考が作るストーリーに、

持っていかれっぱなしの傾向なところを、

自分の感覚をみて、気づき、問うことは、また、

新鮮でもあり、楽しいことだなあと。


それはまた、今にあることの、全てさに、

繋がっているのかなあと、予感しています。


世界は、見えている通りではない。

by Ezumin


呼吸クラスで、Ezumiさんの、いろいろなワークを通して、

自分の感覚を、つぶさに見ていけるのは、

ありがたいなあと思います。


そうそう、録画ですが、

ワークを再度やらせて頂いたり、

Ezumiさんや参加者の皆さんのシェアを聞かせて頂いたりして、

毎回、とても助かっておりますが、

今回は特に、見るたびに、新たな理解と洞察があります!


Ezumiさんと皆さんに、感謝!

来月も、楽しみです。

どうぞ、引き続き、宜しくお願いします。


*****



5月のワークは、感覚と解釈、意味、そして分離というものについても大きなテーマになっていたんだなあと、こうしてご感想やクラスのシェアリングを通して気づきました。

ほんとに自分は緻密に何かを考えて組み立てて、ということはできないし、そうすると結局はこのようにできてもらわないとだめ、というコントロールになってしまいがち。


でも、自分のやりたいことはまさにそれとは対極のことで、別にわたしが考えたかどうかなんてどうでもよくて、あとでわかればいいし、わからなくてもいいし、

起こってくる何か、について自分がどう感じているか、何に気づくか、

それが“いま” を経験し続けることなんですよね。


いまここ、とかいうと、なんだか非日常的な輝ける状態みたいな場、みたいなイメージ、それは“いまの自分”にはわからない、到達できない場所、のように思われているふしがありますが、じゃあその、いまの自分は、どのあたりの自分なんでしょうか。

いまの自分の“いま”と、いまここの“いま”はどうちがうんでしょう。


そもそも“いま”、っていつ訪れるんでしょうか。

さらに、あと何をしたら完璧な自分になれるんでしょう、それはいつのことなんでしょう。



呼吸のクラスで何をするのかは、ほんとに自分でもあまりよくわかっていなくて、

去年にくらべたらまたずいぶん変わっている気もしています。自分の意識がだいぶ変わったので当然なんですが、

ただわかっているのは、「評価は無効」「がんばって得ない」「何も目指さない」「ただ気づく、感じる」ことですね。


上手になりたい、できたい、すごいよくわかります。

けれど、たとえば上手に感じる、ってどういうことなんだろう。

たとえば呼吸、ときどきお伝えしますが、この世界で自分の呼吸がいちばんすごい、とたとえ思ったとしても、それ、誰が“判断”できるのか、ということです。


何かを感じることは自分にしかできないし、“判断”できないですよね。

頭をつかって解釈したらもうそれは感覚ではなく純粋な体験でもなくなってしまいます。


この感覚、感じること。

自分は感じることができなかった、わからなかった、とがっかりされる方が多いですが、できなかったと感じているし、わからなかったと思っている、つまりそれを行うことによって、しっかり自分になんらかのことが起こっていることには気づいているわけです。


でも、最初に自分が評価や何かを得る、目指す、という“目的”や“結果”を設定しているので、できる/できないという概念が発生する。


この感覚、感じること。

とても多くの気づきをはらんでいると思うんですね、無感覚、ということひとつとってもとてもいろいろな示唆がありますよね。


感覚を感じられないことが何かよくないことのように捉えられている、まずこの出発点によって、体験(厳密には解釈によって)が変わってくる。

何も感じなかった、それはほんとうに? という話です。


無感覚と感覚の抑圧、そして五感外の体感覚、これらはどんな感覚を感じたか、と同様、言葉で説明できないし、共有することもできないとは言い切れませんが、稀だと思うんです。


そして、何も感じられなかった、という方にこそ、その“無感覚の感覚”を、もっともっとただただみてみてほしいんです。

“感じられなかった” という“判断”はよそにおいて。

ご自身に起こっていることを、もっともっと楽しんでほしいんです。

視点を変えてみる、ってそういうこと。




「世界は、見えている通りではない」というのは特にわたしの語録みたいなものではなくて(笑)、物理学者の方こそ全然おっしゃっていますし、時間のこと、空間のこと、その他ジャッジをはずしてただ観察していれば、おのずとわかることなんですよね。


別に特別な技術やちからとか不思議、とか一切関係ないので、ただみてみてください。

よーくみてみてください。意味も解釈もこうかもしれない、も全部ぶっ飛ばして、

ただただみてみてください。

条件、資格、いらないですから^^



それから、わたしはいちおう生きているので、偶像ではないですね(笑)、崇拝しないでください(笑)。


スピリチュアルなことって、ほんとにおそろしい側面、たくさんありますよね。

何か不思議体験があって、その体験や知識その解釈を誇張させて壮大に語り、これはこういうものだ! と言い切ってしまうと何かすごいことを言っているようにみえるし、

これはスピリチュアルに限りませんが、特にみえない世界のことは“すごいもの、ひと”にみえやすいですよね。


わたしはなるべく自分の考えや体験を装飾したくないというだけかもしれません。

それに、ほんとにいろいろみていくと、というか、スピリチュアル、という観点でみるなら余計に、「これはこういうもの」と、言い切ってしまうことなどできないことがどんどんわかってくると思うんです。


あと、ほんとにいろんなことが起こるので、そのたびにすげーと思うことはあっても、それはもう過ぎ去ります。

自分にとって世界はただただ面白く、こんなヤバイことに遭遇させてくれてサンキュー! という思いが湧き、ときに溢れ、そして記憶に残ることもあれば忘れてしまうこともある、そんな感じです^^


むかしはあったかもしれないですね、こんなすごい体験する自分すごい、とか。

いまもエゴは言うかもしれない。

でも、信じてもらえないことも多いですしね、そしてすごい体験をする自分がほんとにすごいのかどうかも、よく考えてみればわかりませんよね(笑)。

それ、誰の価値観なんだと。


そもそも自分、クラスではお話ししていますが、カスタマーセンターの対応にイラついたり、パン屋さんにしかられて落ち込んだりしてますから(笑)。



そういえば、先日自転車であるエリアを走っていて、ふと気配を感じてみてみると、「このあたりは、むかしたくさんひとが死んだんだよ」と、人間の肉体をもっていない男のひとが教えてくれました。


「戦争ですか?」と聞くと、

「うん、戦争と震災」とかえってきました。


いろいろなことが起こります。

自分にとっては、カスタマーもパン屋さんもこの男性も、全部自分に起こる日常のあれこれです^^




と、ほんとにご感想やシェアリングで、いろいろ思うこと、気づくことがあり、もっと書きたくもなりますが、きりがないので、また別の機会に。


みんな、それぞれのリズムでいくんだし、それをどうこう言う権利は誰にもないですよね。

花は今日咲きたければ咲くんだし、

と書いて、植物のことで思ったことがあるので、またいつか書けたら書きます。



めっちゃ長くなりましたが、Kさん、ありがとうございました!

シェアリングって、別にいいことを言う場ではなくて、

自分はこんなことを感じた、こう思ったけどどうなん? でもいいし、

ただこれを言いたかった、ただ聞いてほしい、

話すの苦手だから練習、

なんでもいいんですよね、むしろ飛び道具のようなご質問や感想のほうが、

盛り上がったりしますしね(笑)。



というわけで、また。


今月のクラスの初回は、思考、主に不安やネガティブな感情のメカニズムと、なぜ呼吸なのかなど、資料をつかって説明をしてますので、ワークについて、ちょっとわかりやすくなるんじゃないかなと思います。


土曜日クラスは今週が初回、平日クラスのリアル参加は終わってしまいましたが、通し、もしくは2回をお申し込みくだされば録画参加可能ですので、

興味のある方、いらしてみてください。


それでは!



***6月の呼吸のクラス、概要はこちらです。














***6月の呼吸のクラスのスケジュール出ています!



※先日一度アップしたポストですが、思うところがあり後半を先ほど別の視点で書き換えていますので、時間のズレ、ご容赦ください。



今日も午後、雨が上がってからずっとベランダにいますが、

今日は全然仕事がはかどりませんでした。ここちよすぎて。

いまもいい風が吹いていて、たまらんです。


空間のワークのせいかどうかわかりませんが、最近、特に植物の世話をしていると、自分と植物、そしてベランダの風景というか、自分のまわりのものとの差がなくなっていくというか、

すべてが等質に感じられてくることがあります。


すると、ほんとうに特に何もいらないのだなあというか、何かを求めるとか手放す、ということ自体の意味がなくなるというような。

いや、そのときはそんなことさえ思うということもなくて、そのときの感覚をあとから言葉にすれば、なんですけども。

そして、いまはこうして言葉をつらねています。


風のここちよさを味わって、穏やかさや夜のやさしさを感じている自分。

さて、先日に引き続き、5月の振り返りを。

Yさんからのご感想をご紹介しつつ、ちょっと書いてみようと思います。



*****


今回のワークも面白かったです。

自分を分解し、また再構成したような感覚。

自分という輪郭がなくなっていくのを感じた時にどこかしらほっとした私でした。


空間との境目がなくなったとき、もう自分を特別なものとして他から切り分けなくても良いのだとふと思ったら涙が出るくらい開放感がありました。

それだけいつも張り詰めていたのですね…そして自分がなくなった、と感じている自分という視点もありました。


以前のメールで脱皮と書いた気がしますが、皮がなくなるかもしれないくらいです😅

ありがとうございました。


*****



呼吸のクラスでは毎回いろいろなことをやりますが、自分ではこまかいことは決めず、やりながらだったり、やり終わったあとだったり、

もっといえばご参加の方のシェアリングのときに、そのテーマやワークの理由や意味がわかってくることがほとんどなんですね。


意味ってほんとに後付け、というか別の言い方をすればこのことを理解するためにこんなことをやった、という具合にたまごが先かにわとりが先か、で、これもまた“時間”に関係してますね。


特に今回のワークについては、五感外のことをやってみているので、この三次元の論理や五感で捉えたら全然ちがったものになってしまう、“解釈” ではないんですね。


感じることと解釈することは当然ですがまったくちがって、

解釈は体験を脚色したり、操作してしまうことにもなりかねず、もう別のものになってしまいます。これはリーディングにもいえることなのですが。


つまり、こんな意味なのではないか、と、解釈することによって、ストーリーになってしまう、頭でつくってしまうんですね。

これはもう、体験とは別のものですよね。感覚でさえない。

ほんとうに起こっていることが失われてしまう。




今回の空間のワークは、いってみれば非日常的な不思議な体験として捉えられると思うのですが、もしもそんな体験ができた自分すごい、特別! と、判断/評価するとしたら、

このワークはまったく意味をなさなくなってしまうんです。

なぜなら、このワークは自分の消失と同時にひとつであることを体感するものだからです(と、文章にした時点で本質とずれてしまいますがご理解を!)。



以前、自分がこの空間のワークに似たワークをしたときに、左半身だけがなくなってしまった、と感じたことがありました。

このからだがなくなってしまう、周囲とひとつになってしまうという感覚、

けれどこれは本来ひとつであることに気づくこと。


この捉え方の順番で、同じ体験であってもマインドが別の解釈をはじめたら、そこでもう変わってしまう。

だから、ただ経験すること、感じることが大切なんですよね、頭はすぐにストーリーに入りたがるから。


このワークをやってみようと思ったのは、いちおうこのからだと周囲がひとつである感覚をちょっとでも体感していただけたらいいな、という思いがありましたが、

ではそう感じることが “できたら” クリア、ではないんですね。

これを行うことによって、自分が何を感じて、何に気づいているか、それだけなんです。


Yさんがこのワークを行ったことで、あくまでもわたしが素晴らしいなと感じたことは、からだ消えてよかった、ではなくて、そのことによってほっとされたこと、もう自分を特別なものとして分けなくても良いという気づき、ゆるしと言ってもいいかもしれませんが、開放感を感じられたこと。


体験は、なんでもいいんですよ、別に不思議、みたいなことでは全然なくて、どこからでも何からでも気づくことが “できる”。


自分のことでいえば、クラスではお話ししていますが、いまあるパン屋さんでパンを買うことによって巻き起こるあれこれで、ものすごいたくさんの気づきをもらっています(笑)。

ただパンを買いに行くだけなのに瞑想をして自分をニュートラルな状態にもっていったり、そこまでしないと興奮や不安やさまざまな感情に惑わされてパン屋に行けないんですね、パンですよ? ただパンを買いに行くだけなのに(笑)。


おかげで最近はもう、そこまですることなく、“自分を取り戻して” 買いに行くことができるようになり、するとパン屋さんの景色が変わるんですね。

ほんとに、何からでも大袈裟にいえば生、自分でいることのよろこびに気づける、世界のやさしさ、不思議さ、素晴らしさを知ることができる。



楽しいと感じることばかりではもちろんなく、パン屋にしかられてものすごく落ち込んだりもするし(笑)、ちょいちょい腹も立てます。

けれど世界はほんとに面白く素敵だなとわたしは思ってしまうんですね。


それでたぶん、植物も机もパンも誰かもみんな同じ、経験する/されるひとつの場のメンバーであって、

ちがう姿だけで同じものでできていて、

ばらばらだけどつながり合っていると感じているからかもしれないです。

マットレスにも普通に話しかけてますしね(笑)。

ばかみたいにみえるかもですが、もうこどものころからずっとそうなんです、これが自分の在り方なんでしょうね。



自分は野菜とはちがう、

自分は虫とはちがう、

自分はPCとはちがう、

自分は建物とはちがう、

自分は雪とはちがう、

自分はたんすとはちがう、

自分は犬とはちがう、

自分は山とはちがう、

自分はほかのひととはちがう、

自分はからだとはちがう、

自分は思考とはちがう、

自分は、



自分と何かを分け隔てること、

自分と何かは同じであること。


わたしたちは、ほんとうに多層な矛盾、パラドックスに生きてますね。

けれど矛盾、パラドックスと捉えるということは、

本来はすべてうまく“割り切れる” という思考に支えられているからなんですよね(笑)。

二元性、

これもまた時間。


このちっぽけな“頭” では到底“解釈できない”、

それが世界、宇宙、神、と呼ばれるものかもしれません。

そこでは“整合性”も塵のようなものなのかもです^^


と、先日アップしたポスト、後半を別の視点で書き直してみました。

いろいろな視点があることで、そこでみえる風景が当然変わるように、自分の意識もどんどん変化していて、

正直なところ、何かを固定して書くことが、最近ちょっと難しくなっています。

こう思ったそばから、それはどの視点での思い? という問いが起こり、

すると、あ、ここじゃないかも、となり。


けれど、書いたそばからすべて去っていきます。

なんだか、こうしてテキストを書いて残しておく必要もない気もしてきました(笑)。

とりあえず残しますが。



とにもかくにもYさん、いつもたくさんの気づき、ご感想をありがとうございます!

シェアのおかげで、今回は特にわたしもいつも以上に立ち止まり、また新たな視点でものをみることができています。



きのうから 6月のクラス がはじまっています。頭を締め上げて、ひさびさに資料をつくったりしました(そんなにすごいやつじゃないです笑)。

今月はどんな気づき、発見があるのでしょうか。。

すでにとても楽しんでいます。



それでは、また!

立ち止まり、みえていないご自分をたくさん発見する一ヶ月でありますように☆






***6月の呼吸のクラスのスケジュール出ています!



今日も夜ごはんが終わって、ベランダで過ごしています。

ベランダにいると、ブログをはじめ、やはり仕事をやる気になります。

そして本を読んだりぼーっと夜を眺めたりもします。今夜は雨の匂いがとてもいいです。

そのうち布団を出して寝てみようと思っています。


さて、先月のクラスで行った空間のワークについてのご感想、ご紹介します。

Yさんからのご感想です。



*****



空間のワーク、ものすごく面白かったです。

体を認識すればするほど、その存在がなくなっていくのが面白かったです。

足がなくなり、手がなくなり、最後は頭もなくなり。(気圧の影響で頭痛があったのですが、それを感じてるのは一体どこなんだろうと思いました笑) そして、最後は周りとの境界もなくなって、岩に空いた穴に風が入ったり出たりしているような感覚になりました。


面白かったのは、リードしてくださるEzumiさんの話している声は聞こえているのですが、意味がわからなくなっていったことでした。


後で思ったのは、私は霊的な影響を受けやすいところがあるのですが、このようにして自分というものの境界を外して自分という存在を取り払ったら、もしかしたらそういった影響も外れるのではないかということです。

今度試してみようと思います。


面白い体験をありがとうございました!



*****



ここのところ、からだにあまりフォーカスしていなかったので、5月はひさびさにからだに注目。

1週目は「緊張と弛緩から起こるからだの変化、感覚」という意味と、次のワークの準備としてのストレッチ(え、あの足上げたり腰ひねったりするやつってそんな意味があったの?? と思われましたかね笑、ほんとはもっといろんな部分をやりたいです)、

そして体重というものを手放してみるワーク。


2週目は「からだってほんとにあるの?」という問いかけから、上半身と下半身をつないでいる骨盤、股関節をゆるめるボディワークと、

空間を感じてみるワークを行ってみました。


3週目は平日クラスのみでしたが、より空間の感覚を感じてみるワークをしました。


体重を手放してみるワークでは、わたし自身やりながら、これダイエットにつかえるじゃん! とひらめいたり、やるたびに新たな気づきがあったりしましたが、

ほかにも参加者の方から、シミを手放してみようとトライされたとのご報告をいただいたりと、次の週のシェアリングではたくさん笑わせていただきました。



Yさんの「霊的な影響についてつかえるのでは?」というひらめき、いいですよね。

呼吸のクラスで行っていることは、毎回お伝えしていますが、正解はなくて、これをやったらクリア、みたいに、今回のワークうまくできました! はい合格、みたいなものではありません。


できるとかできないって評価でしょ、こうしたことになぜ評価が必要なのかがわからないし、そもそも誰がそれを判断するのか、どんな状態になったらできたことになるのか、そしてできたらどうだというのか。。という話ですね。



このクラスで行っているさまざまなことは、どうつかってもらってもいいんです。むしろ実生活に役立てていただくためにやっていますし。


もちろん毎回意図はあります(というか、理由は結局あとからわかるのですが…笑)。

でも、ものごとってけしてこれでしかない、なんてことはない。

すべてのひとが同じように経験し理解するわけではないし、たとえ意図があろうと、そのとおりにできることが、そのひとにとってほんとうにいいことなのかどうかなんてわからないですよね。


結局、こたえをひとつに“決めてしまう”から、これはだめ、これはいい、というジャッジが起こる、いや、「いい/だめ」というジャッジに基づいて「いい」を設定するから「これでしかない」になるのかもですね。


けど、よくみてみれば、それは決めたひとの価値観でしかないわけで、そのひとの村の掟みたいなものなんですよね。外に出たら、なんの効力もない。

まるで、つきものが落ちるときの瞬間です。



と、ちょっとそれてきましたが、この霊的なこと。時間と空間という“概念”を、知識ではなく“体感”としてとらえたら、Doingとしての浄化という行為が不要であることは明白ですよね。

そういった意味でも、Yさん、ぜひためしていただきたいなと思います^^



そうそう、それてきたついでに浄化ということでいえば、わたしはもう、以前のような意識で浄化というものをしなくなりました。

クラスの前後のコミットのときや、生活しているなかでちょっと重たいかな、と感じたとき、いろいろな意味での自分自身のエネルギーの停滞感を感じたときに、セージやエッセンスをつかう程度です。


正直なところ、ちょうどエジプト行きの前後の自分、気づいてしまえばなんであんなに浄化に過剰になっていたのだろうかと恥ずかしい気持ちですが、完全にストーリーに入っていましたね。


自分は浄化なんかしなくてもだいじょうぶ、とかそんなわかりやすいエゴ/マインドの話じゃないです^^

これは自分がリーディングやエネルギーワークをやらなくなったことも含めて、実はエジプトで経験したことがきっかけになってるんですよね。


振り返れば、あの頃にくらべてとても穏やかになったなと感じています。まさにつきものが落ちたという感じです。

このあたりのこと、そのうち、機会があれば書こうかなと思っています。



そして、Yさんから、3週目のご感想もいただいているのですが、長くなってきたので、また後日に。



余談ですが5月のワーク、特に空間のワークはわたし寝る前のヨガのあとに瞑想がてら軽くやるんですけど、まず入眠が早い!

そして夜中にあまり目が覚めなくなったりなど睡眠にいい感じの影響が出ているので、参加された方はぜひやってみてください。


順番やディテールにこだわる必要はありませんので! 

自分がここちよく寝るだけなんだから、プロセスなんかどうでもいいですよ。

というか、堂々と寝落ちしてください^^



というわけで、また。

素敵な夢を〜☆



***6月の呼吸のクラスの概要はこちらです。

https://nowherenow.amebaownd.com/posts/17997189