一昨日の朝、お布団干して洗濯しようとベランダに出ると、サンダルのすぐそばにそこそこ大きな蜂が。

わー死んでるのかなーやだなーと思いそっとサンダルを履くと、わずかに触覚が動いたのでああ死んではいないんだな、瀕死だな、このままだとたぶんここで死んでしまうんだろうな、という状態。


とりあえず洗濯物を持って洗濯機まで行ってスイッチを入れて、また戻ってくるときにそっと近くに足を置いてみると、またわずかに触覚が動いたものの、飛ぶ気配がないというか、もう羽根を動かす気力もなさそうな感じ。


あー死んでほしくないなー死んだらお墓とかつくらないといけないんだよな、いままったくそんなことができる時間も精神の余裕もないし、死んだか? と思って近寄ったら生きていてぶすり、ということもないとは言えないしどうするんだよこれ、、、と。


さてどうしたものか。

まず全員にとってハッピーな状況とは何か。

と考えて、よし、わかった! と部屋に入り、網戸をきちんとしめて、さらに蜂から1mくらい離れてから、

「蜂、これからエネルギー送るから生きろ! 飛べ!」

と言って蜂に向かって手をかざした瞬間、ブブン、と蜂が起き上がり、そのままブーンンンンン、、、、と飛び立っていきました。<完>



今度のワークショップでやりたいのは、こんな感じのこと(特にコミットについて)です。

というか、しつこいですが呼吸のクラスでお伝えしてるのもこれなんです^^


けれど先日の不思議な手品のことも今回のことも、こういったこと自体が目的なのではないです、これはその一面としてあらわれていることにすぎないんです。



ちなみにこれ、ガイドとかマスターとかにつながってもいないし、誰かや何かのエネルギーなどもつかってないし念なども込めてないしマントラとかも唱えてないです。そういったプロセスとは無縁なんです。


だからと言って、つながりたかったらつながればいいし、誰かや何かのエネルギーもつかうことができるし、みることももちろんできます。


そもそも方法論とか「やり方」とかではないんですね。

頭で解釈してすることではないんです。

そして、これが共同創造だとわたしは理解しています。



というわけで、まだイベントの作業が残っているのでこのへんで失礼しますが、

WSの日程、やはり今月ではなく、来月から集中して行うことにします。


日程、ちゃんと出しますので、もう少しお待ちくださいませ!



それではまた。

呼吸のクラス、参加していただいているみなさま、

今月なくてすみません、なのですが、先月の録画、まだ残していますので、

役に立つところだけ見て、やっていただければと思います。

楽しい実験、と思ったら思いもよらない何かに気づけるんじゃないかと思います^^

ボディスキャンもたぶんまだ視聴できると思いますので、よければぜひ。



ではでは、面白い週末を☆










先ほどコンビニに行った帰り道、なんでひとは苦しいことばかり考えたり、だめなほうばかり信じるようになってしまうのだろう、

ほかにも、というより自分を素敵な気分にさせる考えやもの、ひと、風景などなど世界にはたくさんあるのにどうしてそちらをみないんだろう、

別の視点、世界の見方はひとつではないのに、なぜひとつのことだけしかみられなくなってしまうのだろう、

みたいなことを考えて歩いていると、

ふと、自分の視点が公園の木に動き、その先にはいちょうの木がありました。



葉っぱが風に揺れて、なんともやさしく、いちょうって、こんなにやさしい木だなんて知らなかった、と思い、そばに寄ってしばらく眺めていると、

枝ぶり、葉っぱのつき方、幹の感じ、これまでちゃんと見たことなかったなと、

いつも銀杏の匂いがしたときだけ、黄色くなったたくさんの落ち葉を見つけたときにしか注目していなくて、

ずっとここに植わっていたことも秋にしか気づかなかったなと。


そしていちょうのヴァイブレーションを感じて、呼吸を合わせていくと、

これはわたしの感覚なのですが、足下のほうがあたたかくやわらかいエネルギーが集まってきて、頭はぼんやり、というのとはちょっとちがうんですがまず思考はなくなり視界が360度というか、肉眼でみるのとはちょっとちがう景色になり、

からだの緊張がどんどん解けていって自然と表情がゆるんでいく感じ、けれど体幹にエネルギーが通っているので、ぼーっとしてしまうというより、

しっかり足がついているのだけど、非常にリラックスして頭や肉眼がはっきりしているというより、別の視点でものをみているみたいな感じ。


ああ、いちょうってこんな感じなんだな、と思い、その感覚のまま歩いていると、

ふと、幼稚園か小学校1年生のころに書いた「不思議な手品」という詩を思い出しました。



それは秋、学校の帰りに、道に落ちていた黄色いいちょうの葉っぱがとてもきれいで、1枚拾って落とさないようにポケットに入れ家に帰り、

お母さんに見せようとポケットから出したら、1枚しか拾っていないのに2枚になっていて、

うわあ不思議だなあ、まるで手品みたいだなあというやつなんですけど(笑)、

ほんといろんなことがあるよなあ、そういえば、こどものころからこういうこといっぱいあったなあと、しみじみしました。



と、今月最終週、いや12月にやっぱりなるかもですが、

やろうと思っているワークショップはこんな感じのことです^^

というか、呼吸のクラスは実はずっとそうなんですけども(笑)。



つまり、自分の思い込みに気づいてそれをはずしてみると、

もっと世界っていろんなことがあるよ、

見方を変えると別の景色があらわれてくるよ、と、

なんというか、自分が伝えたいのは一貫してやはりこれなんですね。



実は概要など概ね書いたのですが、

結局自分、何を伝えたいんだろうと思っていたら、

こんなふうに、いちょうが教えてくれましたよね^^



いまイベントの準備がピークで、まだ概要やはっきりとした日時が出せないのですが、

いちおう仮の日にちとしては、

11月27日(日)、12月3日(土)or 4日、12月10日(土)or 11日、12月16日(金・夜)の予定ですが、

初回が12月3日もしくは4日になるかも&1週ずつずれていくかもです。


今回は単発ではなく連続になります。エネルギーワーク的なアプローチも入ってくると思います。

録画参加もOKで、最終日は補足やシェアリング、主にご質問におこたえする時間をとることにしました。

またご参加の方からは、随時わからないことなどを書いていただいたり、なるべく疑問を解消していくかたちにしたいなと思っています。


とりあえず、イベントの準備が落ち着き次第、また詳細などお知らせしますので、

お待ちいただければ幸いです。



それとイベントですが、こんな感じです。


★「LOS APSON? MARKET」@渋谷PARCO 10F ComMunE

11月22日(火)12:00~22:00

*17:00~entrance fee 1,000yen 17:00までは入場無料

https://shibuya.parco.jp/event/detail/?id=5876


わたしはアロマのブレンドオイルやハーバルミスト、お香などを出品します。

このブログを読んでくださっている方は、

普段ふれることのないメンバーや音楽や品々なのではないかと思いますが、

よければ遊びにいらしてください。わたしは1日店番してます。



というわけで、また!













ごぶさたしています。

別の活動でいろいろ動いていたり、ちょっとエネルギーの実験をはじめたり体調不良で寝込んだりと今月も盛りだくさんで、ブログのほうに頭がいかない状態、

チェックしていただいているみなさま、すみません&ありがとうございます。


とりあえず諸々お知らせです。



◆お知らせ1:『個人セッション』を再開します。


というのも、これまでも、ときどきご相談のメールをいただいていて、その都度予定を合わせて行っていたのですが、

最近、おからだのことや内面的なこと等、立て続けにお問い合わせやご質問をいただくので、いちおう窓口をつくろうと思いました。


特に、メールでご質問をいただいても、まず詳しくお話しないと状況がわからないこと、

さらにメールベースでは一方通行で伝わりづらいこと、

結局、セッションのレベルになってしまうこと。


わたしとしても、きちんとおこたえしたいですし、そうなると、メールで書くだけでも言葉選びなど含め、時間も労力もとてもつかうことになり、正直対応できないのです。


そんなわけで、何かご相談がある場合は、個人セッションとしてお申し込みくださいませ!


※呼吸のクラスでのご質問については、これまで通り、基本的にクラス内もしくはブログでおこたえしますが、

詳細かつ個人の範囲の場合は、セッションにてお願いいたします。

どちらか不明な場合は、とりあえずお問い合わせくだされば、判断いたします。



ちなみに、自分のガイドやハイアーセルフがなんと言っているか、とか、自分の過去生を知りたいといったご相談はお受けしません。

ガイドの声などより、自分はどう在りたいのか。

まず、ご自分の声を聞いていただきたいと思います。


もちろん、肉眼では見えない存在を否定しているわけではありません。

セッションのなかで、必要なメッセージがあればお伝えしますし、そうした存在だけでなく、亡くなったご家族があらわれることもあります。


けれど、他者に自分のあれこれを聞いて決めるような在り方、

それは、いったい誰を生きることになるんでしょうか。



自分が自分のパワーをあますことなくつかうこと、

肉眼では見えない存在、しかも自分が実際にきちんと会話して話を聞くわけでもない存在に、自分の権限を渡すような在り方ではなく、

また、どんな意味においても、もはや証明することなどできない過去のストーリーなどにとらわれるのではなく、

常に「いま」の自分をみていくこと。


そして自己実現に自らコミットして、自己治癒力やご自身の循環を取り戻し、

本来の自分に戻るためのお手伝いでしたら、させていただきたいと思っています。

そんな個人セッションです。




◆お知らせ2:『Life Purpose』のお申し込み方法や料金を変更させていただくことにしました。


最近、自分のスケジュールが読めないので、セッション可能日を公開していないため、

ご希望をいただいた方と、直接日程を決めて行っている状況です。


そんなわけで、個人セッション含め、当面このスタイルをとっていくことにしました。

その際、とりあえずNGの日程だけカレンダーで公開することにしましたので(最後に記載します)、

これ以外のお日にちからご希望日をお知らせいただいて、日程を決めるというかたちにします。


そして、11月より料金を25,000円から30,000円に変更させていただくことにしました。

ほんとに最低3時間かかりますし、情報量がほんとうに多いため、5時間くらいいってしまう場合もあり、

どちらにしてもかなりエネルギーを消費するため、変更を決めました。


10月のセッション日、31日しか残っていませんので、

10月中にお申し込みいただいた方は、いままでの料金でさせていただきます。




◆お知らせ3:11月の『呼吸のクラス』と『ワークショップ』のスケジュール、調整中です。


クラスのほうではお伝えしていますが、11月(12月になっちゃうかもですが)に「観察、周波数(波動)、コミット、エネルギー」をテーマにしたワークショップを行う予定です。


こちらは呼吸のクラスに参加されたことのない方、またボディスキャンのみのご参加の方にも、ぜひ参加していただきたい内容です。

自分やひと、その他の周波数について、コミットすることや、実際に変化するためのエネルギーについて、そして、なぜ観察なのかなど、

ワークをまじえながら、くわしくお伝えしていきたいと思っています。


いちおう2日間の予定なのですが、ご自分でコミットする、エネルギーを扱うところまでいけるかどうか、正直わかりません。

とりあえずプログラムを組みながら、ベストな状態が決まっていくのをみていこうと思います。


日程については、11月中旬以降の予定です。

詳細含め、決まり次第、お知らせいたします。



*****


と、長くなりましたが、個人セッションについてはページをつくろうかなと思っていますが(『Life Purpose』のページは改定しています、抜けがあったらすみません!)、

お申し込みフォームは『Life Purpose』と同じで、それぞれ選べるようになっています。


日程の決定についても同じで、以下のリンクのカレンダーをご覧いただき、

OFF日以外から第3希望まで書いてフォームから送っていただくかたちです。


カレンダーはこちら

※ご覧になれない方、お知らせください!


ちょっとわかりづらいかもしれませんが、フォームにアクセスして、記載の順番に選んだり書いたりしていただければわかると思います。


このやり方で、ちょっと自分がどこまで対応できるかわからないので、

また変更の可能性もありますが、とりあえずこれでいってみたいと思います。



というわけで、

長くなりましたが、ページ直したりつくったりちょこちょこ修正したりすると思いますが、

諸々どうぞよろしくお願いいたします!



おまけ:11月22日(火)渋谷でイベントがあります。アロマのブレンドオイルやお香など出店しますので、

お時間ある方、よければ遊びにいらしてください。

詳細、またお知らせします^^













*呼吸のクラス10月&9月の録画参加受付中です

https://nowherenow.amebaownd.com/posts/37859633?categoryIds=2035848



先日、どうしても観たいイベントがあって「あいち芸術祭」に行ってきたのですが、いやーイベントはもちろんのこと、素晴らしい展示群。


映画もそうなんですけど、予告編も基本観ないし、前情報をほとんど入れずに観るんですね、先入観で勝手な期待が入ってそれに合ってないと評価が下がる、あるいはいい意味で裏切られたということで上がったりというのもありますけど、

結局自分のイメージ次第で見方が変わってしまう、つまりその作品以外の不要なものが入ってしまって直で体験することができなくなってしまうから。


なので、誰の展示があるのかもほぼ知らない感じで行ったのもよかったと思う、にしてもど頭の河原温に30分近くつかってしまって、結局8時間くらい同じ会場にいたという(笑)、しかも休憩なしのノンストップで。


芸術祭自体のタイトル「STILL ALIVE」の通り、生と時間、その概念、というか刻む、刻まれる、刻まれた、という感覚が自分としてはとても強いのだけど、まあとにもかくにもパンチのある展示ばかりでした。


ほんと気づけば口をぽっかり開けたまま立ち止まること多々、あいトリ時代の波紋について今回なんらかのサジェッションがあったのかどうかはわかりませんが、それよりも作品自体の強度、作家の生き様というか、むきだしの生というか、

なんというんでしょう、ある種の生の執念みたいなものをそこここに感じたりもしました。



もうほぼ全部が目なのか脳なのかに焼きついている感じなのですが、

なかでも幻肢痛とトラウマに関する映像作品、なくした腕や足などに痛みやかゆみが起こるという話は聞いたことがありますが、

実際、臨床にかかわっている医師の話や当事者自らの証言、そして映像はリアリティなどという言葉であらわすのは非常にたやすく、それどころかむしろ的をはずれているような気がするし、わかりやすい生々しさなどともまたちがう種類のものだし、

なんでしょうね、いわゆるドキュメンタリーを観る感覚ではない感触なのは、それが作品だからなのでしょうか、とにかく見入ってしまいました。



そして、その直後にVRのイベントだったのですが、これがまたすごくて、

それまで肉眼で観ていた2Dの映像からVRの視界に変化した途端、ズドン、と音がしたかのように目の前が変わってしまい(助走はあったにしても)、つまり体感そのものがもうここにはない感じ、

周囲が突然どこかわからない星、あるいは地球の果てなのか異次元の空間なのか、

とにかくまったくわからない場所に自分があれは物理的に、といっていい感覚をともなっていきなり連れ去られてしまい、

周囲は岩や小さな光があって、手を伸ばしてそれに触れようとしてももちろん触れられるわけはないのですが、

何より衝撃だったのが、自分がいくら手を伸ばそうが足を蹴り出そうが、その動作をたしかに行っているのに見えない、自分の手も足もつまり自分のからだが一切視界には現れてこないのです。


そのとき、直前に観ていた幻肢痛の映像作品を思い出したんです、その足はもう存在していないのにたしかに痛みがそこにあるということ。

自分のからだ、手足は自分が思っている通りに動かされているはずなのに、目でみること、確かめることができない。

幻肢痛とはちがうけれど、VR体験中の自分は、言ってみれば目だけになってしまっていたんですね。



これは以前、覚醒された方のヨガのクラスに参加したときと、エジプトでの体験、その後も何度かありましたがそのときと同じで、

視界は動くのだけれど、自分のからだはない、目だけになっている、というのもほんとは正確ではなくて、視界だけがある、「みる、みている」ということだけが起こっているという感覚。



と、書いていると止まらなくなるのでこのへんで締めていきますが、

痛みって、ほんとうはどこにあるのか。

というか、からだというのはほんとうはどのように存在しているのか。

そういった意味では物理的なすべてのものは、ほんとうはどう位置づけられているのか。



さらにいま思ったのは、ヨガのときには視界さえなく、ただ意識だけがあるという状態。

幻肢痛の痛みのように、意識、というより思考だけが宙に浮いたようにからだがないことにとまどい、さまよっているような感覚。



すべては幻想、と言い切ってしまうのはあまりにも乱暴だけれど、

やはりすべてあるけど何もない、

つまりそれぞれの層というか世界線というか周波数帯ともまたちがうなんらかの領域というしかないものが(というか時間という概念の介入があるからこそいくつもいくつも発生し続ける何か)、

それぞれ重なり合って(という表現が適切なのかさえ疑問だけれどそうたとえるしかないのもとりあえずたぶん事実)ある、というしかないのだなと思えます。



ほんとうにほんとうにほんとうに、

何ひとつ定まっているものなどないんだなと思います。

痛みがどこにあるのかわからないのなら、

この思考としての苦しみも、いったいどこにあるのか。



ほんとうに変化を望むのなら、まばたき一回分のコミットで、

すべての景色が変わる、

というか、

変化した景色をみることができるんだと思います。



というわけで、また。

今月の呼吸のクラス、ちょっとからだを動かしてみようかな、と考えています。



*呼吸のクラス10月の概要はこちらです

https://nowherenow.amebaownd.com/posts/37859633?categoryIds=2035848












『Life Purpose』&『個人セッション』の予定カレンダーです。

お申し込みの際は、こちらのカレンダーのOFF以外の日程から、第3希望までお書きのうえ、

メールフォームからお送りください。


※セッションの受付時間は、基本14:00〜18:00となります。海外にお住まいの方はご相談ください。

※予定は変動があります。

※OFF以外の日程も、完全に空いているわけではありません、ご了承くださいませ。



ご不明な点がありましたら、お問い合わせください。

どうぞ、よろしくお願いいたします。








なんか、9月の概要を書いたのがついこの間だった気がするのですが、

10月の概要を出しました。

https://nowherenow.amebaownd.com/posts/37859633?categoryIds=2035848


もうやることがたくさんあって、仕事の諸々からごはんの献立、どの新幹線に乗り今日はどの靴下を履くかまで、ほんとに選択の連続、常にひとは何かを選んでるんだな、と思いつつ、

それも「わたし」という視点からみた行為であって、

別の視点からみれば「選ばされている」となったり、

主体客体のない視点(この時点で「ん?」となる視点がありますが)からみたら、、と、

まあものごとは何ひとつ固定されてないよね、されてるようにみえる視点があるだけなんだよなあ、とか思ってると約束の時間に遅れてしまったりするという、このパラドックス(これもそれぞれの視点からみてのそれ)。



と、ほんとに遅刻しそうなので、とりいそぎですが、

今月の呼吸のクラスは引き続き「解放」をテーマにしていきます。

詳細は概要を読んでいただければと思いますが、

先日、アロマの関係で嗅覚による脳のこと、体調から行動までの反応に関するレクチュアを受けてきたのですが、ヒントになることがあり、そのお話なんかもできればと思っています(忘れなければ! &もっと面白いことが起こったらそっちの話を!)。


とにかく今回、特に初回は、ひさしぶりにしっかり呼吸をやろうと思っています。

循環をテーマにしたものと、意識を置きながらのボディスキャン的な循環呼吸もやってみようかなと考えています(これもほかにアイディアが出たらそっちを!)。



いや、さっきラジオを聴いていて、ちょうど時間について読もうと思っていた本の話をしていて、そのパーソナリティーのひとは時間の概念にとらわれた生き方は僕はいやなんですよと言っていて、わかるーあたしもーと思いました^^


そんな感じで、ほんと、それをどの視点でどうみるか、どう捉えるかでまず感情が変わる、当然行動が変わる、全然ちがった風景がみえてくる。


たとえば先日、「今までは、心を開くとかオープンハートという言葉に拒絶反応気味だったのが、どうも自分が思っていたものとちがうらしい、怖らがらなくてもよさそうだ」

というメールをいただいたんですけど、

ほんとそうよね、自分はこれをこういうものだと思っている。これは誰にでもある思い込みだと思うんですね。

でも、ほんとうにそうだろうか、それが宇宙でただひとつの揺るがない定義だろうか、見方なのだろうか。

ためしに別の見方をしたらどうだろう、拒絶以外の反応はないのだろうか、ほんとうにそれはおそれる対象でしかないのだろうか。。



そういった意味でふときのう、お金がないから○○ができないとか買えないというけれど、

よーくそれをみてみると、なんか違和感あるなあと。

それ、絶対の絶対にほんとうなのかと。




というわけで、クラス、よかったらご参加くださいませ。

ボディスキャンについては、もうちょっとお待ちください!



時間とれたら、また何か書きます&先月の「結び目」について、実は補足を書こうと思っていたのですが、ご質問もいただいていますので、また後日に、

こちらは9月の呼吸のクラス&ボディスキャンにご参加の方への補足メールとしてお送りしますので、

少しお待ちくださいませ。


とはいえ、いちばんはご自分の感覚を信頼されてください。

教科書にはことこまかくていねい詳細に「こたえ」が書かれているわけではなく、

また正解というものを必要とするなら、それはあくまでも自分にとってのそれであって、

誰が何を言おうとも、ご自分がここちよいのなら、それが「正解」ですから^^



というわけで、また。

いい感じの10月を^^



*呼吸のクラス10月の概要はこちらです

https://nowherenow.amebaownd.com/posts/37859633?categoryIds=2035848








◆ 呼吸のクラス10月      


10月は「循環と解放」をテーマに行います。

先月から解放をテーマに行っていますが、今月はさらに「解放」というものについて、別の視点からみていきたいと思っています。


解放、とよくいうけれど、果たして解放とは何を指すのか、誰が何を解放するのか等々、

特に意識し振り返ることなくつかっている言葉、その意味、行為を、

一度立ち止まり、眺め、自分は何をしているのか、していたのか、

結局どうしたかったのかを含め、

新たな視点で「解放」というものをめぐるあれこれを探ってみたいと思います。


今月の1回目は「循環」。

先日、嗅覚の反応からみる脳、行動に関するレクチュアを受けてきたのですが、

呼吸と循環、解放についてのヒントがありました。


そこで、初心にかえりつつ、いま一度、呼吸のもつ性質を実感して、ご自身に還元していただけるよう、呼吸をつかった循環をテーマに行っていきます。


2回目は、前回のブッダの呼吸瞑想から、引き続き「解放」について、紐解いてみたいと思います。



どちらもとてもシンプルです。

はじめての方でもご参加いただけますので、

ご興味のある方は、ぜひご参加くださいませ。




☆日程:

◆10月11日(火)、24日(月)10:30〜90分前後

※zoomをつかったオンラインのクラスです。

※録画のみの参加OKです。

※1回目は火曜日、2回目は月曜日です。


☆参加費:2回通し4,500円、ドロップイン2,500円


※9月のクラス(1回/2,500円、2回通し4,500円)の録画参加もまだ受付中です。こちらは10/10(月)までご視聴できます。

※PayPalでお支払いの方は手数料がかかります。


クラスについてのQ&Aをまとめています。


☆お申し込みはこちらから


※※※ PayPalでお支払いをご希望の方、必ず自動返信メールに記載のリンクからお願いいたします。アカウントのステイタスがちがうため、個人間のお取引とは異なります。

リンクが飛べない方、遠慮なくご連絡くださいませ^^







9/10『ボディスキャン〜ブッダの呼吸瞑想から・2』録画参加

『9月の呼吸のクラス』録画受付中です。



台風&連休明けのせいか、各方面から一斉に連絡が来て頭がきゅぅーっとなったので、今日やるべきことをひと通り書き出したら、それだけで全部終わった気になって余裕感が出るわけでもなく、実際終わってはいないのだし、

まずは自分の10月の告知をしようと思いました。



その前に、先月のクラスのご感想、ご紹介します。

まずYさんからのご感想です。


*****


Ezumiさんのお話がとても共感でき、自分も感性で生きたかったんだなと思いました。

それができなかったのは、期待しなければ傷つかない、感じなければ辛くない。それに尽きるんですよね。 感じて痛いならそりゃ閉じちゃうよね、と思いました…


ジャッジ、抑圧、自己破壊。 全て自分を守ろうと出てきた感情なのだから、 感性で生きられない自分を嫌わないで、責めないで、というところはもう号泣で。 

 自分の中から同じ叫びが上がってきて、それを受け止めてあげることができたのは良かったです。


ひとつひとつのもやもや、それを見ていくだけでも自分と思考を分けることができる気がします。

そして全て受け入れて自分に寄り添い、呼吸とともに心の結び目をほどく。

この開けゴマの呪文、続けてみようと思います。


ありがとうございました。


*****



続いてMさんからのご感想です。



*****


今月もありがとうございました。

呼吸のクラスでは最近なんだか「行き倒れている私」をみつけては、抱きかかえて、毛布でくるんで、火のそばに座らせて、背中をさすって、温かい飲み物を飲ませて、何も聞かずにそばにいる、みたいなことをしてる気がします。


冒頭にあった「本当はどう生きたかったのかを振り返ってみる」という話で、「あきらめている私」が、今さら考えたくないという気持ちを持ちながら、じっと耳を澄ませて聞いているのを感じました。


子どもの頃の夢を思い出しました。

夢に向かってがんばるとか本当はしたかったんですけど、なぜかできませんでした。

「私は努力ができない、少し劣った人間だから仕方ないの」とおどけたふりして言い聞かせてきましたけど、本当はそんな気力がなかったんじゃないかという気がしています。


一つめの瞑想のとき、体の状態、感情に名前をつけていると、肺が大きく伸び縮みして体は気持ちよさを感じていたんですけど、感情のところで、何も感じていない自分がいるのに気づきました。

真っ白というか、無色透明、何もない、「無」という感じ。とても静かなんですけど安らぎとは少し違いました。

「私はこうやって何も感じないようにしてきた部分があるんじゃないかな」と思いました。

そうまでしないといけなかった私を感じて涙が出ました。


こころを開くって、

笑いたくないけど笑う

しゃべりたくないけどしゃべる

人に寛大であること

など、自分はともかく他者を受容することなんだとかなりの年月思ってきたので、クラスで質問したことで「自分を受け入れていいんだ」とほっとしました。


それから「クラスでのやり方、手順通りにおこなって成果を出したい」と思ってることにも気づけました。


そんなわけなので「私はこころを開いていないから、この瞑想でこころを開こう」という気持ちで始めるんですけど、不思議なことに、瞑想しているとすでに完全に開いている感じがするんです。


なので、子どもの頃の夢を実現できなかったことを残念に思っている私がいて、その私は「それが現実、変えられない事実」だと感じているんですけど、Ezumiさんの「(フォーカスすると)自分を運んでくれる」といういい感じの表現がありましたけど、「それはきっと本当で、必ず私を願う方向へ運んでくれるんだろう」となぜか普通にごく当たり前に信じている私もいるんです。


「残念に思っている私」もひっくるめて私が私を全部信頼している感じ、というのか何と言うのか。ちょっと表現がむずかしいんですけど。

疑いつつ信頼してるなんてそんなことあるわけないだろ、と思ってるんですけど、疑うでも信頼するでもなくすでにあらゆる可能性に開かれている感じ、というか。


それって私が今まで信じてきたものと全然ちがうよって思うんですけど、こころを開く瞑想をしてるとそんな感じになります。



*****



9月のクラスのテーマは「解放」でした。

まず解放ってなんなのか、自分にとって不要なもの不都合だと思われるもの、感情、思考、信念体系、エネルギー、ブロックとなっている何か等々を手放すこと、ほんとうにそれが根本的な解放になるのかという問い。


あらゆる思い込み、決めつけ、意味づけ、自分というものを動かしているプログラム、ストーリー、

なかでも最たるものは “ジャッジ” だと思いますが、まずここに気づくこと、手放すにしても、そもそも何を手放すのかわからないですよね。


これができない自分はだめ、そういう自分が嫌い、責める。

では「だめ」だというジャッジがなければどうなんでしょう、

そもそもなぜそれが「だめ」なのか、誰がそれを決めたのか。



人間の性質として、これ以上耐えられないと無意識本能的な “判断” がはたらいた場合、それは防衛というかたちでなんらかの状態に置き換わることがあります。

そのひとつは記憶を消す(もちろん潜在していますが)、また感覚を閉ざす、それらが極まると解離、別の人格をつくり出すといったことが起こってくることがある(必ずそうなるわけではありません、一例です)。


つまり、そのできごとをありのままに受け容れる、ということが、そのときはできない、できなかったということで、

それがその時点での自分の最善だったんだと思うんです。


その自分を起点、主人公といってもいい、そこから起こってくるストーリーはひとそれぞれ、いろんなプロフィール設定になるわけですが、

その主人公としての自分は、それ以降の自分、いまの自分からたいてい「だめ」判定されて生きている。

あるいはほかの誰かや何かが悪いとして生き延びていく。




と、いろいろ書いていくと終わらなくなるのでやめますが、

とにかく解放、何も抱えていない、何にも捉われていないし捉えられてもいない、どんな自分もすべてOK、

自分が何かを解放するのではなく、何かに捉われ/囚われている自分そのものが解放されることなんじゃないか、つまりすべてに開き開かれていること。


おそれ、不安を忌み嫌い排除するのではなく、おそれていてもOK、不安があってもOK、

そしたらもうおそれる必要、ないんじゃないでしょうか。



そんなことから、オープンであること、ほんとのオープンハートってなんなのか。

これをベースに呼吸瞑想を行っていったのですが、


こころを開くって、
笑いたくないけど笑う
しゃべりたくないけどしゃべる

人に寛大であること

など、自分はともかく他者を受容することなんだとかなりの年月思ってきたので、クラスで質問したことで「自分を受け入れていいんだ」とほっとしました。


ほっとされたとのこと、よかったなと思いますが、

だって、笑いたくないのに笑う、しゃべりたくないのにしゃべるって、

笑いたくない自分を閉じてますよね、クローズ。

笑いたくない、というのが閉じてるわけじゃなくて、笑いたくない自分というものを扉の向こうに押しやる、これがクローズであり抑圧ですよね。

そうやってまた結び目ができる。



笑いたくないのには理由があると思うんですよね、そこに流れるストーリーが。

それをみつけてあげる、共感してあげる、排除しようとしたらより閉じますよね、だって言い分があるはずなんだから。


だからまず見つけてあげる、気づいてあげること。



観察は分析でもロジックでも想像や仮説を立てることなどでもまったくなく、

ただそれをみる、気づくこと。

何より「それ」をエゴによって、ほかのものにしてしまわないことじゃないでしょうか。


そして、


ジャッジ、抑圧、自己破壊。 全て自分を守ろうと出てきた感情なのだから、 感性で生きられない自分を嫌わないで、責めないで、というところはもう号泣で。
自分の中から同じ叫びが上がってきて、それを受け止めてあげることができたのは良かったです。



ジャッジ、抑圧、自分を閉じ込め自分以外のものにしようとしてしまった自分をも排除しないこと。


そしたら苦しみ、なくなるんじゃないかなと思います。

これを物理的なエネルギーとしてみたら、そこに抑圧、滞留、閉じ込められていたものが本来流れるべきところへ流れていくということ。

なぜならエネルギーは方向性をもっていて、ものすごい台風が去りいま雲ひとつない青空がひろがるように、

行くべきところに動いていくのだから。



視点、意識のシフトって、これまで黒だと疑うことなくみていたものを、実は白としてみることができると気づくことだと思うんです。

ほんとに錯視。

そして、白に見えてしまったら、もう黒には戻れなくなる。

まさにシフト。



さらに、ちょっとおせっかいすると、


疑いつつ信頼してるなんてそんなことあるわけないだろ、と思ってるんですけど、疑うでも信頼するでもなくすでにあらゆる可能性に開かれている感じ、というか。



「疑いつつ信頼してるなんてそんなことあるわけないだろ」←これがジャッジですね。


<疑いつつ信頼してるなんてそんなことあるわけないだろ、と思っている自分>がいる。

<疑いをもっている自分>がいて、<信頼している自分>がいる。



相反する思いをもっている自分、何か問題ありますかね。

そういう自分がおかしいとジャッジするから苦しみがひとつ生まれるのでは?

というか、そう思っちゃったんだから仕方ないんじゃないでしょうかね。



疑う自分がいて、信頼してる自分がいる。

矛盾は、どっちかひとつでしかない、どっちかが正しいと“思い込んでいる” から起こる概念、まさに二元性。


けれど、ほんとは、


全部あるのに何もない、なんにもないのに全部ある。


「空」ですね^^




というわけで、Yさん、Mさん、今月もありがとうございました。

いままで自分をよくないものとしてみていたそのきびしい視点から、

どうぞやさしい眼差しへと変えてみてみてくださいませ^^




さて、10月のスケジュールです。


☆呼吸のクラス10月

日程:10月11日(火)、24日(月)10:30〜


の予定です。


9月の解放をベースに、10月は呼吸のもつ特性からみる解放、という感じで、まずは呼吸の基本に戻り、

また別の角度から滞留したエネルギーを動かすことをしていこうかなと思っています。


概要&お申し込みはまた後日に。


ボディスキャン3は、10月末、もしくは11月にするかもです。

9月のボディスキャン2の録画は、それまで視聴できますので、ご覧になってください。



というわけで、また。



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***9/10『ボディスキャン〜ブッダの呼吸瞑想から・2』の概要はこちらです


どちらも録画参加受付中です。












9/10『ボディスキャン〜ブッダの呼吸瞑想から・2』録画参加

『9月の呼吸のクラス』受付中です。



先日、ひさしぶりに起きてすぐに、からだをゆるめるヨガをていねいにやっていると、

もっとたくさん息が吸いたい、肺、頭、からだ全部にもっともっと酸素がほしいという感覚になり、

そのまま深くゆったりとした呼吸を続けていると感覚がふいに切り替わって、

胡座の姿勢に自然と移り、そのまま瞑想に入っていきました。


頭のなかがしん、として、ただただ静けさがひろがる感覚、そのここちよさ、

窓から入ってくる風が肌にふれる感覚、そのここちよさ、

気づけばベランダで鳥が小さな、とてもかわいらしい声で鳴いている、というより何か喋っているのが聞こえてきて、

しばらくその声を聞きながらただ座っていました。


そのうちだんだん意識が戻ってきて、その鳥を近くで見たくなり、立ち上がってそっと窓の外を見るとかわいらしいすずめちゃんが。

けれど、その気配を察したのか、すぐに飛び去ってしまいました。



ブッダの絵や、むかしのインドの聖者の写真に、たくさんの動物に囲まれているものがありますが、

自分が静けさでいると、エゴ、思考のない無垢な周波数、まさに動物たちのそれが自然と引き合い集まってくるのかもしれない、

そう思いながら部屋に戻り瞑想を続けてここちよさを感じていると、また鳥が戻ってきました。



瞑想を終えると、ひさびさに頭がすっきり、視力ちょっと上がったんじゃね? というくらいに視界が良好、ああ健康ってやっぱりすごいなと実感。


最近、ブルーライトの影響で、PC画面をみているとぽろぽろ涙が出てきたり、夜には目を開けていられないほどになったり。

でも、この感じなら1日PCのそばにいてもだいじょうぶそう、と思い、植物の勉強をかねて、ずっと見ていなかったティンクチャーの講座の動画を、翌日とあわせて12時間くらいほぼぶっ通しで視聴。


その流れで、ちょっと腰を据えて自分を見ようと、テーマを決めてティンクチャーやレメディをとりはじめたのですが、気づきがすごくて、泣いたり、

目はだいじょうぶではあるものの頭痛がはじまっておさまらず。

これは完全にデトックスの状態、ひとつは長年蓄積されてきた頭痛薬の排出ですね。


3年くらいになりますかね、ケミカルをやめてホメオパシーに変えてから、ほぼ頭痛がなくなり、以前は年間100錠はとっていたほど頻繁だったのが嘘のようです。


なんというか、頭痛薬の害で痛みが起こるという完全に本末転倒の状態、

まだ体内に残る薬の残留物と、いまだ自分全体に影響を与える過去の体験って似ているな、と思いながら痛みに耐える、というよりも、その痛みをみている、

忌み嫌わずに、痛みを経験する、という感覚でいると、どんどんやわらいでくるんですよね。


感情を感じ切るってよくいいますが、こういうことですよね。

排除しようとするのではなくて、その感覚に共感する、併走する感じ、受容。

そうしてエネルギーが昇華していく。



痛みや苦しみはたしかにつらい。

でも、それがよくないもの、というのも、結局思い込みなんですよね。


ほんとに嫌だし、早く治って! と思うのも当然、そう思っちゃいけない、感じちゃいけないことなんてない。

けれど、それをよくないもの、というのは、やはりジャッジにすぎないんです。

よくないものをもっている自分、そこに新たな苦しみが生まれて苦しみが増幅される。



結局3日くらい、仕事など一切せず、ほぼ横になりながら、ラジオを聴いたり動画を観たり眠くなったら寝る、を繰り返して、

今日からゆるく通常モード。


実は最近、結構ストレス抱えてたんだな、とか、自覚していなかったけど、自分を急かしたり、やらない自分を責めたりしてたな等々思い、

とにかくゆっくりいこう、なんにもしたくなかったらしなくていいし、と、

より自分の思っていること感じていること、からだが欲していることに気づいていこうと思いました。



いま、ちょうど水星逆行中、過去のあれこれとの遭遇が起こってきやすいので、チャンスじゃないかなと思います。

苦しかった自分を、とにかくいたわってあげたいですね^^



さて、先日のボディスキャンのご感想、ご紹介します。

Uさんからのご感想です。



*****



ボディスキャン、ありがとうございました。

一番最初に録画を見た日は時間がなくて、休憩に入るまでの説明やEzumiさんがやってみたときの話などを聞いて一旦終了しました。


そのあと寝つけないので「眠れないときはいつもブラックホールに飲み込まれたみたいな、とてつもない不安に襲われるけど、これは何?」と見ていたら、「お母さん」と母を求める声が出てきました。


小学生のときの私が混乱すればするほど悲しめば悲しむほど、母が混乱して悲しむので、私はそれ以上混乱することも悲しむこともできなくて、感じることをやめてしまった、ストップした、ということを感じました。

もう誰も頼れない、頼らないと感じていたことも思い出しました。


こんな気持ちが置き去りになっていたことを知って呆然としました。

母に怒りや憎しみを抱いている場合じゃない、一刻も早くこの気持ちに寄り添わなくてはと思いました。


それから何回かボディスキャンはやってみましたが、日中だろうと夜だろうとすぐに寝てしまいます。

新しい仕事に就いてから緊張が続いているので疲れきっていたみたいです。


「辞めたいのに辞められない、苦しい苦しい苦しい!」と病院の待合室ですら脳内でもがいていたら、ふと、真っ白の壁を見ながら「この文章おかしい、なんか変」と思いました。

辻褄が合ってないというか、意味を成してない感じがして、「これは何?」とまた見てみたら、自分の外側の状況をどうにかしようとしているばかりで、そこに私が不在だということに気づきました。


私が私の気持ちを除外しているから苦しいんだということがわかりました。

「私は今、苦しいんだ。とっても苦しいんだ!」と私を自分の中心に置いて感じてみたら、苦しいはずなのになぜかすーっと楽になりました。


こうなると、「辞める」という選択肢しかないし、「なんとか乗り切らなきゃ」と思っていたのが「適切ではない」ということもはっきりとわかったので、あとはもう行動に移すだけで、昨日、退職願を出してきました。


やってみたい仕事だったので辞めるのはちょっと残念だけど、無意識に信じていた誰かの言葉ではなく、生身の私、今ここに体を持って生きている私が大切にしたいこと、優先したいことが何なのかがわかったので、それを灯りにして進んでいけばいいかなあって思ってます!



*****



ボディスキャン、眠ってしまってもだいじょうぶです。

それがそのときの反応だから。


以前はよくお伝えしていましたが、呼吸のワークって、呼吸瞑想も含めて、すぐに結果が出るとか、効果が、とか、何かを目指して達成する、というような話ではないんですね。


何かを得るためには何かをしなければならない、というのはほんとに疑うこともなく信じている思い込みだということは再三書いていますが、

それを欲しがっているのはエゴ/マインドであって、本来の自分、気づきはなーんも思っていない、傷ついてないし苦しんだこともない、ただただ起こっているドラマをみているんです。


で、呼吸を続けていると、突然、気づきが起こってくることがあります。

自分に問いかけたらこたえ、必ずかえってきますし、それは特殊な才能とかほんとに関係ない、自然なことなんです。

特殊な才能、能力であってほしい、あるいは自分にはそんな力はない、と思われている方(どちらもエゴですが)にとっては、認めたくないかもしれませんが。


そして、そんな思いさえ、本来の自分はただみている。気づき。



自分の外側の状況をどうにかしようとしているばかりで、そこに私が不在だということに気づきました。
私が私の気持ちを除外しているから苦しいんだということがわかりました。
「私は今、苦しいんだ。とっても苦しいんだ!」と私を自分の中心に置いて感じてみたら、苦しいはずなのになぜかすーっと楽になりました。



そうそう、ほんとにそう。

先ほど痛みのことを書きましたけど、その気持ち、感覚を排除しないことなんですよね。

ただそうした気持ちがあることを追いやらず、つまり抵抗せずに、気づいていっしょにいてあげること。

だから、手放す必要さえないんですよね。


じゃあ、そうやれば痛みや苦しみは消えるのね! 

という思考が起こってきたとしたら、残念ながらそれはエゴなんですね^^


苦しいんだね、痛いんだね、という共感と、それでもいいよ、という思いがこの背後にあるからこそのほんとうの受容なのであって、

そうでなければ、また取り引き。こうやればこれが得られる、という条件付きの「やり方」なんです。


けれど、受容や共感は、そうした “方法論” ではないんですね、感情を感じてあげるというのも同じく、ツールや方法、やり方ではない。



もっとも適切であろう言葉でいうなら、「開く、オープンであること」でしょうか。

苦しみに開く、オープンである、痛みに開く、オープンである、

つまり、両手をひろげて苦しみも痛みもなんでも歓迎するよ、ウェルカム! 

オープンハートって、こういうことですよね?



そう、おそれも不安もなんでも排除する必要がない、おそれや不安をおそれる必要がない、

もちろん、おそれる自分がいても、おそれや不安があってもOK、NO PROBLEM!

だから最強なんです^^



先日のボディスキャン、結び目をほどく、には、

こうした意味もありますね。

固く閉ざしていた、閉ざすしかなかったその部分をほどいて開いていくこと。

そうして、扉が開かれればとどまっていたエネルギーは解放されていく。



生身の私、今ここに体を持って生きている私が大切にしたいこと、優先したいことが何なのかがわかったので、それを灯りにして進んでいけばいいかなあって思ってます!


ほんとそうですね、「それ」がご自分を連れていってくれると思います^^



ボディスキャンで寝てしまう方、今回と前回はベーシックなものと少しちがって、はっきりとした誘導になっているので、耳は音声、何をしているのかを聞いています。

なので、眠ってしまったとしても、行っていただければと思いますし(義務のようにたくさんやるのではなく、あくまでもご自分をいたわる気持ちで)、

起きている状態のときには、ご自分、自らが意識を向け、コミットする、というやり方で行ってください。


そのうち、脳疲労や緊張がやわらいでニュートラルな状態になっていくと、起きて行うことがだんだんできてくると思います(もちろん、これも日によってちがうので、そこはからだの状態、起こってくることを優先してください)。


また起きた状態で、部分的にしっかりと意識を向けて行うととてもよいので、

ぜひやってみてください。




結局、解放って、自分の抱えていた何かを外に送り出す、というより、

自分の閉じていた扉をひらく、まさにドアの開放、

こっちがほんとなのかも、と思ったりします。


そして、その意識のほうが、なんからくな感じがする。


先日のボディスキャン、

この意識でやってみると、またちがった感覚があるかもしれませんね^^



というわけで、Uさん、ありがとうございました。

何か苦しくなったり怒りをおぼえたり悲しくなったりしたら、ぜひご自分をみて、感じてあげてくださいませ^^



それではまた。

東京は豪雨と止み、の行ったり来たりなので、明日のクラスの内容を考えたら、

またごろごろ過ごそうと思います^^



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9/10『ボディスキャン〜ブッダの呼吸瞑想から・2』録画参加

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昨夜のボディスキャン、

リアルタイム、および録画参加してくださったみなさま、ありがとうございました!

録画参加はまだお申し込みできますので、よければご参加ください。



さて、忘れないうちに。


呼吸のクラスにご参加の方、目の疾患やなんらかのトラブルを抱えている方がわりといらっしゃるのですが、きのうのボディスキャンのなかで、ふと思い出した自分の体験をお話しました。

ほんとに、ずっと忘れていて、話している途中で突然思い出したんですよね。


で、終わってから、さらに思い出したことがあったので、ちょっと書いておこうと思います。



その体験というのは、もう20年くらい前でしょうか、突然、自分の視界のまんなかに、黒い円があらわれるということがありました。

たとえば、先日アップしたメロンのパフェ、そのときの視界で見たら、こんな感じ。








そして、自分のブログを、そのときに見たら、こんな感じ。






もしかすると、黒い円はもうちょっと大きかったかもですが、

ほんとに視界のど真ん中に、ときどきあらわれるとかではなく常にあって、ものすごく困りました。


当時のこと、いろいろ思い出したんですけど、兆候はあった気がします、けれど完全に黒い円が固定されたのは、そのとき働いていた職場にいるときでした。


視界の真ん中が見えなくなってしまったので、ちゃんと立っていることができず、とりあえず職場のソファに横たわって、「どうしたの?」と同僚に声をかけられたときにうまく説明できなくてもどかしかったこと、

とにかく移動が危ないので、トイレや帰りの電車なども、隣の駅に住んでいた同僚に一緒に帰ってもらったこと、

家ではパートナーと住んでいたのでごはんをつくってもらったこと、

それから仕事の資料や本、打ち合わせで交換した相手の名刺が読めなくてすごい困ったことなど、いろいろ思い出しました。

ひとりで外を歩くときは、電柱とか塀をさわりながら歩いたりしたな。


それがどのくらいの期間続いたのか、いつ、どんなふうに黒い円が消えたのかなどはまったく覚えていないんですが、

とにかくいつの間にか戻っていました。



お医者さんにももちろん行きましたけど原因不明、一生このままだったらどうしようと思った記憶はありますが、いちばん覚えているのは、「黒い太陽」という詩を書いたこと、

この視界でどうものをみたらよくみえるかの試行錯誤、練習、

そして、この状態を何かの役に立てることができるか、この状態を何かに利用したり転換できることはないだろうかなど、

振り返ってみると、いま何ができるだろう、それしか考えてなかったですね。



起こってしまったことはなかったことにはできないし、悔やんでも仕方ないし、治療法もないし、もちろん完全に見えなくなるかもしれないという不安や想像もあったと思うんですけど、

あれこれ考えたところでどうなるものでもないし、それこそまったく生産性がない、

じゃあいまどうしていくのか、自分にできることは何か、それ以外、何もないんですよね、

だって、どうなるかなんて、わからないから。



目だけでなく、片耳が聞こえなくなったこともあるし、

あと思い出したのは声が出なくなってしまったこと、いわゆる失語症ですかね、あれも困りましたねとっても。




思い返すと、ほんとに自分、いろんなことあったなーと思うんですけど、

きのうもお話しましたが、とにかくこんな経験をする自分やばい、人間てほんとすごい、

もう全部ここに回収されるんですね、自分の場合は。

とにかく身に起こったことを、どうしたら面白く、とか、よりよい何かに転換できるだろうか、

自分の思考はやはり、ここに行き着くんですね。


もちろん、数々の地獄を抜けてきてのいまですよ、

そんなにすんなり生きてはこれなかったです^^




昨夜のボディスキャンでは、ほかのお話もしましたけど、

起こったことをどう捉えるかは、ほんとに自分次第。


そして、ひとって、こんなことが起こったら、こんなふうに反応するものだという刷り込まれた思い込みがすごくある気がしました。


たとえば、こんなことがあったら悲しむものだ、とか、こんなことがあったら怒らなくてはいけない、とか、こう感じるのが当然、こうするのがあたりまえ、というように、

それさえ根拠のない誰かの考えにしたがっている。


それはつまり「こう思うこと、感じること、することが正しい」という “正解” を求めてるんじゃないでしょうか。

自分の反応さえ、間違えてはいけない、というような。


そうして、誰が判断するのかもわからない正解、正しさに向かって、

自分のほんとうの思いや感情、感覚をころしてしまう。

それが、ほんとうに正しいのかどうかもわからないのに。



あらためて、自分はなんだかんだ言って、やっぱりラッキーだなと思いました。

疑問をもつことができること、立ち止まってそれを眺められること、

そして、自分がどう感じてるか、どう在りたいかを確かめられること、

自由にものをみることができること。


だから、同じように、自由に世界をみるひとたちが集まる、というか、

引き合うんだろうと思います。

そんなひとたちと関わるたびに、また自分の視界がひろがって、思い込みとなっていた結び目がみつかって、さらに自由になっていく。

決めつけや思い込みの強いひととは、一緒にいられないんですよね、どうしても。



昨夜参加してくださった方(もちろん録画参加の方も)、ありがとうございました。

ライブなので、そのときの感覚がやはり引き起こされてくるんですよね、

黒い太陽、ほんと忘れ去ってたなー、そして以前おつき合いしていたひとのこと。


彼のような状況になったとき、もとに戻りたいって思うのが当然、って、自分が思い込んでたことに、あらためて気づかされました。



自由って、ほんとにはかりしれない。

なんでもあり、とかそんな表層的なことじゃなく、すっごい広大で、行き止まりのない奥行きなんだなあって思います。


あらためて感謝の気持ち、湧いてきました。

ありがとう、あのときおつき合いしていた彼!



自分を、世界を、すべてをどう捉えるかは、

ほんとにほんとに自由。

そして、それは自分が決めること。



というわけで、ありがとうございました!

結び目、ほどいていきましょうね、

その下にひろがる自分、もっともっと開いて、自由にさせてあげるために。


そして、ほんとは、最初っから自由だったという気づき😊



それではまた😊




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先日、約束通り、かき氷を食べに浅草へ、

のつもりがパフェを。





いや最初からおたがいに、氷じゃなくパフェをたのんでしまうんじゃないかと言ってたのですが、結果そのようになりました。


ほんとはきのうの予定だったのが、友人からお店が定休日なので日程変更しようとメールがあり、前倒しにしたところ、その日だけ急に晴れの夏日、

冷たいものを食べる日和となってよかったです^^



ひさしぶりの浅草、めっちゃ散策するぞと意気込んでいたものの、暑さでだらだら。

休み休みぶらついてから、こちらもひさびさに。





うまい、また明日からがんばれる、ありがとう鰻、食べ終わりたくない、

この4語をくりかえしつぶやきながら完食。


その後コーヒー飲んでおしゃべりしたり、観光センターの屋上から夜景を眺めたり、ぶらぶらしたり。







浅草は、ほんとにいろいろ思い出やお世話になった街、というより町ですね、

一時は毎日通っていて、いつもノスタルジーというよりどこかもの寂しさを感じて、

特に、はじめてある一角を歩いたとき、突然涙が出るということがあって、

いつもそこを通ると何かこみ上げてくるものがあったんですけど、

今回はなぜかそうした感じがどこを通ってもなくて、

もちろんときどきじん、となることはあるんですけど、それでもいままでのような感傷はなく、

町が変わったのか、自分が変わったのか、

不思議な感じがしました。




さてそろそろ帰りますか、と、

最後に川を眺めて駅へ向かうつもりがどうしても傍に行きたくなり川縁へ。





しみじみするかと思いきや、

女性兵士の話から化学物質過敏、橋と照明のデザインや町おこし、アイヌと沖縄文化、祭り、ハンドメイドとマルシェ、本とCDとサブスク、積ん読、今後の自分らの展望にコミューン、村へと続き、最後は新しき村について、と、

途中でうわーきれーと10分おきくらいにおたがい写真を撮りながら、結局一時間以上しゃべり倒して帰宅。


夏の終わりの感傷とか余韻とか一切なく、

それでも夏休み感を感じる1日でした。




以前ある友人が、結局、自分が楽しんでできることがあって、なんでも話せる友だちや仲間がいて、家族が健康で、困らないだけのお金があればそれでいいよね、と言ってたんですけど、

ほんとそうだよな、とあらためて思う夜でした。



というわけで、また。


そうそう、今週末のボディスキャン、言葉にならない、意識には上がってこない部分の解放、という感じになるかと思います。

よければご参加くださいませ!

録画参加もOKです^^




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きのう、すごくお世話になったひとが亡くなったことを知った話を書きました。

わたしを仕事仲間であり友人だと言ってくれたひとで、

年は彼のほうが全然上だし、仕事をわたしにくれる立場で、

それだけでなくプライベートでもいろんなイベントに誘ってくれたり、

自分が誘えば来てくれたし、

いま思うと、わたしに自分を表現する場をたくさん提供してくれたひとだったんですね。


それについて、あらゆる意味で、見返りなど一切要求もされなかったし、

そのことで自分のほうが上、つまり俺がしてやってる、教えてやってる、お前よりわかってる、みたいな態度も、遠回しに誇示するようなこともまったくなく、

高いごはんもいっぱいご馳走してくれたしいろんなこと教えてくれたし、

たくさんのひとをつないでくれたし、

かといって、男女の関係にもちこんでこようとすることも一切なく、

いま思うと、ほんとに与えてくれるひとでしたね。



もちろん喧嘩、というか、おたがいに意見の違いで合ってる間違ってるという言い合いをしたことも何度もあるし、嫌味もいっぱい言われたし、

だから彼は聖人君主のような、崇高なイメージのひとではけしてなく、

二日酔いでお酒の匂いぷんぷんで現れることもあれば、

このひと、ちゃんと仕事してるのかな? ほんとに編集長なのかな? と疑うくらい、携帯がつながらず、会社に電話をかけてもいないことばっかりだったし、

お正月に、数日間のイベントに行きたいから仕事手伝って、と、大晦日、除夜の鐘がなる直前まで校正にかり出されたりもしたし(笑)、

名刺を見なければ、何やってるのかよくわからないひとでした。もちろん、見た目も。



そういえば、自分のパートナーが死んだときも、このひとは泣きたいだけ泣けばいいとか、これにはこういう意味があるだとか、時間が経てば、とか、癒せとか、自分もこんなことがあったとか、ああだこうだこうしろとか一切言わなかったな、

完全にニュートラルだった、わたしに対してアドバイスとかも何もなかったし、ほんとニュートラルでしたね。


そして、それが自分にとって、すごくよかったんだと思う。

ほんとうの意味で、言葉が役に立たないこと、わかっていたのかもしれない。

そして、彼はわたしに、言葉をつかうこと、書く場を提供してくれたひと。



思えば、彼と疎遠になったのは、

自分が書くことから離れたころからだった。

このブログに書いていることは、別のかたちでの表現ではあるけれど、

自分がほんとうにあらわにしたいこととはまたちがうことなんですよね。



一昨日ときのうと、まだ数人にしか連絡をとっていないけれど、

このことに対するリアクションはほんとにみんなちがって、

やはり思うのは、起こったことにはなんの意味もない、そこには別段すごいとかすごくないとか、いいとかだめだとか、そうした点数、価値基準をつけられるような要素は何ひとつないし、

ただ、体験したひとが、それをどう捉えるか、それでしかない。


けれど、同時に無意識に、けして途切れないものというのがあって、それをたったひとこと、言葉にするなら、日本語でいえば「愛」。これ以外にはまるものが自分には見当たらない。


そしてたぶん、わたしたちは、ただそのひとことについてのみ。

その前で、いつも、ひたすら右往左往している、よろこんだり悲しんだり、怒ったりして。




彼の死のことで真っ先に連絡をした友人とは、来週かき氷を食べに行く約束をしていて、

だから一通のメールのなかで、彼の死についての彼女の言葉と、そのあとにはかき氷のお店のリストや状況が書かれていたんですけど、

それを読み自分でも返信しながら、「死、そしてかき氷、この振り幅最高!」と、書いて送りました。

そのあと送られてきた彼女からの返信には、

「死とかき氷がともにある。これが人生なのだと思います」 。



自分は彼女と一生つき合っていくだろうな、と思った。

彼女と自分は全然、と言っていいくらいタイプはちがうし、いっぱい言い合いもしたし、絶交のように距離をとったこともあったし、これからもきっとそうなのだろうと思うけれど、

それでも続いてきた、そして続いていく理由が、あらためてわかった気がします。



あらかじめ用意された言葉や態度なんていらない。

いま、そのひとの言葉、いまの、そのひとからあらわれる言葉、態度、

まさに発現、表出される何か。


こころ揺さぶられること、

あるいは静けさに戻ること、

いまの、生の言葉、態度、

それこそが、本来の自分へと誘ってくれるのだと思う。



と、

概ね、自分のためだけに書いてみました。

死んだひとは往々にして美化されますが、

それも、自分がどのようにそれを捉えたいのか、

そのための一視点にすぎません。



と、

感傷的な感じもしますが、

わたしは先ほどちょっと遠くのカフェでどはまりしているチョコレートのクッキーとマフィンを買い、

好きなパン屋さん(去年のあそこではありません笑)がサンドイッチ祭りをやっていたので

バインミーと、ポーク&アップルのサンドを買って、ご満悦です。


そう、死と思い出とクッキーとマフィンとサンドが共にある世界。

もっといえばきのうは石けんつくったし、

今日はこれから何をするのかわかりません、

自分がどう動くのかを、興味深くみているところです。



このクッキーなどの話を書かなければ、わたしが悲しみや感傷のなかにいるのだろう、と思われる方も多くいらっしゃるのではないかと思います。



けれど、ひとは、ひとつ以上の時間を経験することも、共有もすることはできない。

そして、ここに書かれた感情や、こころの動きは、もうすでに去った。


けれど、わたしたちは、ひとつ以上の時間を経験することも、共有することもできません。

そして、もうここに書かれた感情や、こころの動きもすでに去りました。



と、

少し言葉を変えただけで、ぐっと印象が変わりますよね。

自分の、こころ、そこにあらわれてくるものをひとつひとつ眺めて、確かめて、

そうしてはじめて、自分がほんとうにあらわしたい、と思ってること感じてること、

その純粋な在り方が、みえてくるのかもしれません。

「です。」「だった。」その語尾ひとつとっても。



というわけで、また^^




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※参加費のお支払いにつきまして、クラスとボディスキャン、一緒にしていますが、別々でもかまいませんので、遠慮なくお知らせください。