※お申し込みの受付を終了いたしました。興味をもってくださったみなさま、ありがとうございました!(8/4)



呼吸のクラス、きのう土曜日クラスが終了しました。ご参加のみなさま、おつかれさま&ありがとうございました!

明日は平日クラスの第1回目です。ご参加のみなさま、どうぞよろしくお願いいたします!


そしてお申し込みですが、8月4日(火)までお受付いたします(お申し込み&お振込みが済んだ方)


・土曜日、平日クラスともに、第1回は録画でのご参加となります。

・最低2回、リアルタイムでのご参加をお願いいたします。

・土曜日、平日クラスともに、日程の振り替えができますので、参加の日程をお知らせくださいませ。


というわけで、どうぞよろしくお願いいたします!






呼吸のクラスにお申し込みいただいたみなさま、ありがとうございます!

とりあえず、現時点でお申し込みフォームが届いている方全員へのご連絡と、

お振込みをいただいた方全員へのクラス詳細のお知らせをお送りしました。


もしもまだメール来てないよという方がいらっしゃいましたら、

至急こちらからご連絡ください。

メールアドレスが間違っている場合、メールフォームの自動送信は送られませんので、

そちらのご確認もお願いいたします。


それから、お申し込みの締め切りですが、

第1回が録画でのご参加という方もいらっしゃいますので、またあらためてご案内しますが、土曜、平日、共に第2回の前までお受付けしようと思っていますので、

お問い合わせくださいませ。


そのほか、クラス以外のことでお問い合わせやご感想のメールをくださった方、

お返事全然できてなくてすみません!

やがてメールいたしますので、もう少しお待ちくださいませ。


それではとりいそぎ、どうぞよろしくお願いいたします!





先日お知らせした「呼吸のクラス」ですが、いくつかご質問いただきましたので、追記しておきます。


【7/27追記】

※録画を後日見られるようにしました。

CLASSのページで、最初3回コースの土曜日と平日の時間を間違えていたので修正しました。



Q: 「土曜日クラスで出られない日があるのだけど、平日に振り替えできますか」

A: 「はい、出られない日の振り替えは可能です」


たとえば、

・土曜クラスを申し込みたいけど1が出られない場合、平日クラス1に振り替え→OK

・平日クラスを申し込みたいけど、2と3が出られない場合、土曜クラス2と3に振り替え→OK

です。


そして、


Q:「参加できない場合、あとで録画を見ることはできますか」

A:「後日、期間限定で見ることができます」


ただ、日程の半分以上はリアルタイムでの参加をお願いしたいと思っています。

というのは、やはりエネルギーの共有、共鳴も感じていただきたいからなのです。


なんでもそうですけど、ひとりでやるのとグループでは全然ちがいますよね。

特に呼吸法や瞑想って、エネルギーがとても精妙になるので、その静けさのひろがりとか、呼吸の意識によって変化するエレメントというかふくらみみたいなものが、グループだととてもよくわかると思うんです。

その感覚が、おひとりでするときのガイドにもなると思うので、ぜひ参加していただければと思います。


Q: 「長時間立っていられないのですが、参加できますか」

A: 「はい、だいじょうぶです」


今回は、胡座ではなく椅子にすわったままで行います。

ときどき、からだを緩めるための動きなどもするので、立ったりもしますが、

ケガをされている方、立てない方はすわったままで問題ないです。

何しろ、右足骨折明けのわたしがナビゲートですので^^



というわけで、また何かご質問がありましたら、お問い合わせくださいませ。


それでは、どうぞよろしくお願いいたします!













8月から、ずっとやってみたかった呼吸法のクラスをはじめることにしました。

https://nowherenow.amebaownd.com/pages/2899935/page_201905212220


ちょうど、自分の骨折で固まった筋肉やからだを緩めるリハビリのつもりで、サボりがちだった呼吸法をひさびさに毎日続けてみて、やはりいいなと思ったこと、

体調不良の回復もそうですけど、頭の中のおしゃべりが減ったり、瞑想の集中が深くなったり、余計な考えや気分の切り替えが早くなったりと、メンタル面でもスッキリ感があって、続けようというより、やめられなくなったという感じかもです^^


ただ吸ったり吐いたりするだけの、こんなに簡単なことで、不快感とかだるさ、重さが減って自分がここちよく軽やかなほうへ動いていく、そのすごさを知ってほしいし、伝えたいと思ったのでした。



これまでリーディングのセッションをしていく中でも感じていたことですが、

なんというか、普段、みえないものやことをお伝えしている自分が、

逆に、何かみえたり感じたりしなくてもできること、人間って自らそういう風にできてることを知ってほしいという思いがあります。


いつでもご自身でできること、もっといえば、ヒーリングやすごいワークなど特別なことをしなくても、

ちゃんと自分の中に自分を癒したり開いていくシステムがあるんだよって。



それから、コロナにまつわるあれこれのこと。

こわばりがちなからだやこころ、重さやだるさ、今後に対する不安、どうにもできなさ、身動きのとれなさ等々、自分自身のこともさることながら、

知らず知らずにほかの誰かから影響を受けてしまっている何か。


そして、特に不安はないけどやることもなくて暇、めっちゃ運動不足、何をしたらいいかわからない、どこにも行けずにだらだらしてしまうなどなど含め、

ちょっと自分のエネルギーを動かしてみませんか? というお誘いです。


毎回60分、平日と土曜日のクラスがあります。

ぜひ、いっしょに呼吸しましょう〜♪



わたしと呼吸についてのことを書いてみましたので、

こちらも読んでみてください。


クラスの詳細はこちらです。



*あともう一つ、新しいリーディングのセッションもはじめます。

こちらの詳細は、もう少しお待ちください。。








おかげさまで、先週から杖なしで外出をはじめ、一昨日、4ヵ月半ぶりくらいに電車に乗りました。

やっぱり、別のエリアに行くと空気感とかヴァイブレーションが当然ながらちがって、新鮮な感じもするし、

いいですね。

まだ正座、ジャンプ、走るのがNGなのと、長距離歩くとまだ少し足が腫れたりするのですが、それでも行動範囲がひろがってうれしいです。


日々、ほんとにいろいろあるし、なんだかなーと思うことや、なんというかどっちつかずの雰囲気が漂っている感じがしますが、

先日、そんな感覚を吹っ飛ばしてくれるようなメールをいただきました。


それは、以前から別のサイトでやっているリーディングやワークショップを受けてくださったKさん方からの、かれこれ5年ぶりくらいのメールで、その後の変化や近況についてのご報告でした。

シェアさせていただく許可をいただきましたので、ご紹介します。



***


2015年辺りにワークショップと個人セッションをしていただいた◯◯です。今は結婚してKになりました。

セッションを受けた後、感想やお礼も送らずドド~っと時が流れてしまいました。

なぜか最近そのことに気づき、お礼を伝えたいとメールを書いています。


思えばワークショップに参加した時から、自分の人生にちゃんと向き合う決心ができたのだと思います。(めちゃくちゃ行きたくなかったことも覚えてます…)


リーディングでは自分でもびっくり級の悲しみに蓋をしてたことに気づき、過去の私に「つらい思いさせてごめんね!愛されたかったんだね!」と涙が止まりませんでした。

その後2日くらい泣いてました。笑


そこで自分の中の愛情の流れがスムーズになったとたん、好きな人ができて結婚、今は一児の母になりました。

こじらせすぎて分からなくなっていたけど、私は自分で家庭という基盤を作りたかったみたいです。

自分の母に対して拗らせていた感情も、夫と話し合ったり夫の家族を客観的に見ることで解消され、これまた世界が180°変わるような衝撃でした。

私はただただ拗ねていただけで本当は愛されてたんだ!!という。


それからセッションのときに「座り心地のいい椅子」と「ハーブティー」を自分のために探してみて、というようなことを言われたのですが、

なかなか出会う機会がなく、去年引っ越ししたときにようやく理想の椅子に出会えました。

そして紅茶に詳しい夫がハーブティーを淹れてくれます…。

椅子の話とか、何年越し?!ですが、ようやくここまで来れたなぁと感慨深いです。


セッションを受けた頃とは全然違う景色にいて、あの頃の自分を遠く感じます。よくがんばってきたね、とも思います。自己肯定感が低かったのでなかなかつらく感じることも多い人生だったけど、ようやく楽しいビジョンも見えてきました。


まだまだ人生は続くのだろうし、今も学びはたくさんですが、この流れに乗るきっかけをくださったことに感謝します。

別れ際に握手してくれた手の温かさを今も覚えてます。

本当に本当に、ありがとうございました。


たくさんたくさんタイムカプセルのようなメールを書いてしまって失礼しました。

時代の節目で価値観の刷新に目が回りますが、ご自愛ください。



******


いやーもう拝見しながら自分のことのように涙があふれてきてしまって、かけ値なしによかった〜〜〜とうれしくなりましたよね。


Kさんが参加してくださったワークショップは、たしか年明けに1年の自分、みたいなテーマでやったんじゃないかと思いますが、当日、Kさんは1時間くらい遅れていらっしゃったんです。

その理由は「行きたくなかった」とのこと。


こうしたワークショップやセミナー、セッションって、申し込んだのは自分なのに、なぜか行きたくなくなったりすることがありますよね、

それはだいたいが抵抗によるものですが、逆にそういうひとって、大きな変化を迎えたりすることが多いんですね。


あの日は、終わってから参加者のみなさんと一緒に晩ごはんを食べに行ったのですが、お店に向かう途中、Kさんが、こういうときはどうしたらいいのか、こういう感情はどう扱ったらいいのかなどずっと質問攻めで(笑)、

あんなに行きたくなかったとおっしゃっていただけでなく、どちらかといえばおっとりとしておとなしく見えるのに、その情熱に驚いたことを覚えています。


そのくらい、ご自身を変えたい、変えるのだという強い思いで、それはあのワークショップに参加してくださった誰よりも大きかったのだと思います。


その後しばらくしてから、今度は個人セッションに申し込んでくださって近況を伺うと、ワークショップのあと仕事をやめ、全然ちがう地域に引っ越し、新しい仕事に就いたとのことで、それもびっくりしたのですが、

今回もまたびっくりの展開で、ほんとにひとってすごいし、わたし自身もめちゃめちゃ勇気づけられました。


ひとはだいたいにおいて、変わりたいと思いながらも、現状にとどまってしまったり、誰かや何かのせいにしたり、

自分は一歩も動かずに、誰かや何かのほうを変えようとします。

でも、自分の見方、意識を変えない限り、目の前の風景は変わらないんですよね。

馬を水辺に連れて行くことはできても、水を飲ませることはできないといいますけど、ひとを変えることはできないし、起こったことはもう起こったこと。


結局、誰かや何かを変えようとすることって、チューリップの球根に対してバラとして咲け、とか、犬とかねこちゃんに向かってパンダになれ、というのと同じなんですよね。


でもわたしたちは、小さなころからそれを強いられてきたし、いまも社会、世界はそれを求めてくる。



自分を取り戻すこと。

そのためには、まず自分が自分を知り、いちばんの理解者でいること、

どんな自分をも受けとめて、歓迎してあげること。

それがすべてであり、そこからはじまるんじゃないですかね。



Kさん、ほんとにありがとうございました!

わたしもあらためて自分のこと、もっともっとみていこうと思いました。

(ちなみに、リーディングですわりごこちのいい椅子、ハーブティーのことは覚えていません笑、でも今回メールをいただいて、家庭、家族の暗喩だったのかなと思いました。自分で言っといてなんですが笑、いや、リーディングの内容は基本忘れてしまうのです)


そして、近々、新しいセッションを はじめることにしました。

いまページを準備してますので、また決まり次第、お知らせしますね。


ではまた☆







骨折してから早4ヶ月、まだ本格的なリハビリはできないのですが、
かわりに毎日、雨が止んでいる時間を見つけて、買い物がてら、散歩をしています。


きのうは、隙があれば飛び出す彼ら、彼女らに注目。




どのひとらも、もう、たまらんです!



約3ヶ月、病院以外は一歩も外に出ないという状態で過ごしたのは、自分、生まれてはじめてのことなんじゃないかしら。

そのせいか、外に出るたびに、この何気ない風景や、ただまちを歩くということが、何かとても贅沢なことのように感じる。


きのうも歩いた同じ道でも、二度と同じ姿で目に映ることはないですもんね。



さて、今日は、個人セッションを受けてくださった方のご感想をアップしようと思います。

いままでクラスのご感想はアップしましたが、個人セッションの場合は結構パーソナルな内容が多いし、ご本人に直接返信するだけにとどめておいたのですが、
せっかくいただいたのだし、ほかの方が何か気づくきっかけにもなるかも、と思って、
掲載させていただくことにしました。


では早速、Aさんからのご感想です。



本日は、ありがとうございました!
やや緊張していましたが、お話を聴くうちにあぁ、私はこうだったと思いだすことができたように思います。

いつの間にかズレて勝手に苦しくなっていた自分が元の位置に浮上してきた感覚です。
誰かの、何かのせいにしたい自分になってしまっていました。

具合の悪くなる時はいつの間にかということが殆どですが、このタイミングでえずみんさんのリーディングを受けることができて良かったです。

えずみんさんユーモアがあって、ロックな感じがとても素敵!いわゆるスピリチュアルな感じではないのが私には良かったです。


今まで自分が自分のことを分からないことが何故なのかという疑問さえ持っていませんでした。
感情の解放がまだまだ必要なこと、世の中の常識に囚われずにいくこと。自分との信頼を厚くしていくこと。
自分が何を感じているか、みていく練習をしたいと思います。自分の本当の気持ちを常にキャッチできる自分に戻っていきたいです。

いただいたアドバイスをもとに、自分の可能性を拡げていきたいと思いました。

また、お願いすることがあるかもしれませんがその時はよろしくお願いいたします。
心からの感謝を込めて。


**********



「いつの間にかずれて苦しくなっていく」。

頭でいろいろ考えていると、数珠つなぎのように次から次へと展開していって、ふと気づくと、最初の思考、というか考えがはじまるできごとやきっかけとなった何かから、はるか遠い地点までいってたりしますよね、脳内で。


これが習慣になっていると、当然、自分から自分がどんどん離れていってしまう、もはや自分じゃなくなってしまったりする。

するともう、何がしたいのか、何を求めているのかなんて、わからなくなって当然なんですよね、だって、自分から遠く離れてしまってるんだから。


でも、気づいて戻ったらだいじょうぶ。

ハードルを上げてるしまっているのも自分だし。


「自分の可能性を拡げていく」。

ひとはよく、自分には才能がないとか言いますけど、才能ってなんなんですかね。

あったりなかったりするそれって?

できないかもしれない、でもできるかもしれない、その可能性はどのくらいあるだろう。


才能も可能性も、ほんとは持ったり所有できる何かではなくて、
人間そのものだと思うんですよね。


可能性というものがあるのではなくて、自分が可能性、それ自体。

そして自分を生きる才能は、最初からある機能だと思うんです。

何も考えなくても呼吸が起こり、心臓が動き、血液やリンパ液が勝手に流れるのと同じように。


というわけで、Aさん、ありがとうございました!


それでは今日はこのへんで。










ここ最近、うちの地域は風がものすごく強くて、

今朝はベランダのニチニッチー(日々草)が2落ちていたので救出。



小さめの花や葉っぱはだいたいこの茶器に入ってもらうんですけど、
去年の5月末はこんな感じ。




続々落ちるので、ちょっとずつ増えていって茶器が見えなくなるくらい。

日々草の花が落ちるのは終わったからそうですが、水に浮かべるとしばらくそのまま咲いているのでうれしい。


植物がないとだめ、というひと、たくさんいると思いますが、自分もほんとだめです、無理。


たとえば食べもののことで、よく四つ足は食べないとか、かわいそうとか、痛がるからとか不浄とかなんかいろいろな理由で肉を食べないというのがあると思うんですけど、
じゃあ魚は? 野菜は? という不毛な議論が交わされたりするじゃないですか。


そんなこと言ったら野菜って名付けてるけどグループとしては植物ですよね、植物って知性があるよ? 生きてるよ? 

このケースはいいけどこれはだめ、って、なんで? 誰が決めたの? って。


結局、 “頭” で考えて判断することって、反対のことが出てくる。

なぜなら、全員にとっての “正解” はないから。

人間だけじゃなく、生きものは、ほかの生きものを食べて生きる。

なんかいいひとっぽくきれいごとな感じでいやですけども、みんなほかのいのちをもらって生は紡がれる。循環していく。でしょ?


食べもののことって(食べものだけじゃないけど)、難しい。

ほんと、一概にこうとはいえないですよね。




と、話は変わりますが、

きのうアップした花の名前、早速お二人からメールが!


名前は「パッションフラワー」「パッシフローラ」「トケイソウ(時計草)」


いや、最初トケイソウに似てるなと思ったんですよ、でもわたしが知ってるトケイソウってこれで、


wikipediaより拝借)


まさかつる性とは思わなかったんですよね、こう結構太めの茎で土からすっと伸びてるイメージで。


メールをくださったひとりの方は、ホメオパシーのレメディにもなっていると教えてくださったのですが、

実は神経過敏や興奮で眠れないとき、睡眠のリズムを整えるなどの目的で、自分でもときどきとっているもの。



「もっと、ゆったりいきたいね」




そして、もうひとりの方は、ペガサス・エッセンスにあったと教えてくださいました。


https://www.pegasusproducts.com/shop/flower-essences/passion-flower-passiflora-incarnata-christ-consciousness/


ペガサス・エッセンスは、キリスト意識にフォーカスされていて、ホメオパシーのレメディはもっとボディ、人間の実生活、というか、それぞれコンセプトや作成方法はまたちがった在り方ですが、

どちらもひとつの花がもつ異なる領域、レイヤーで捉えているのがとても面白いなと感じます。


で、このことは、宇宙というものの全体の構造をあらわしてると思うんですよね。

自分がアセンデッドマスター等の存在とのコンタクトの見直し、みたいなことをしようと思ったのも、これと同じこと。


って、また話が変わってしまうので、このことは機会があれば!


パッションフラワーのエッセンス、ご存知の方もいると思いますが、ほかにも出てるので、くらべてみるのも面白いですよね。



それにしてもほんと植物ってすごい。

ずっとおんなじ場所で刻々と姿を変えおんなじ種類なのにけしておんなじじゃない。


もしもまたクラスみたいなことをする機会があったら、今度は外でやりたいなーと頭のなかで計画してます。

植物だけじゃないですけど、今回のこのパッションフラワー、完全に自分はメッセージとして受け取ってます。

自分に必要な情報って、ほんとにどこからでもやってくるから。


これを読んでくださっている方のなかに、この花やエッセンス、レメディのメッセージに何か感じるものがあったら、みてみるといいと思います!



そんなわけで、名前を教えてくださったお二人、

ありがとうございました! おかげさまでスッキリしました(笑)。



そして、今日は植物、自然みたいな話を書きましたけど、雨の被害でたいへんな状況になっている地域があるとのこと。

具体的なことができませんが、どうぞお気をつけて。


それから東京都民の方、明日7月5日は都知事選。

候補者の方のお顔、ふるまい、仕草など、よく吟味、あるいは直感でみて、
ぜひ投票に行きましょう。


スピリチュアル、みたいなことに寄りすぎませんように。

わたしたち、食べて、生きて、税金などを払って、といった人間の暮らしのサイクルがありますもんね。








おかげさまで、骨折もだいぶ回復。

最近は、折れた場所のまわりの筋肉が固まらないように(すでにそこそこ固まってしまってますが)、雨が降っていない時間はなるべく散歩に出かけるようにしています。


今日は午前中に、郵便を出しつつひさしぶりに本を借りに図書館へ。

やっぱりいいですなー図書館。読みたい本がいっぱい(家には積ん読本もいっぱいだけど)。

ひともまばらで、自動貸出機やPCがちょっと増えたような?

館内全体がなんとなくきれいになった気もするし、ストレスなく回れてよかったです。


いまは片方だけ松葉杖をついて、一歩一歩確かめながら歩くんですけど、道ってこんなにでこぼこしてたり曲がっていたり、思いがけないものが落ちていたり、

骨折前の移動はほぼ自転車だったこともあって、きょろきょろしてしまう。


今日はやたらとつる科の植物が目について、なかでもこれ。




近づいてみると、すごいかたち。


からすうりの仲間ですかね、ほんとは夜だけに咲くグループの花だったら夜に見たい、たぶん昼よりもすごいはず(どなたか、名前を知っていたら教えてください)。


いつも通りの風景に慣れてしまうと、その道や場所はいつの間にかひとつのかたまりみたいに整理されてしまって、振り返ることもなく、いろいろなものを見落としてしまう。

ゆっくり見てまわること、自分にとってはすごく新鮮で、大切だし、何より発見があって楽しいです。



ゆっくり見てまわること、といえば、骨折してから、自分や世界、領域のことをいままでとはまた違う視点でみるようになりました。

まあ、いまにはじまったことではないんでしょうけど、足が折れてからは、さらにひろがってると感じる。


特にからだのこと。

先日も書きましたけど、からだを動かすことが苦手、嫌い、というのは実は自分の思い込みだったのではないかという気づき。


先日、また別の方とのセッション中にインナーチャイルドの話になり、自分の経験を拾いつつお話しているとき、ふと、3年くらい前に出てきたわたしのインナーチャイルドのことで、思い出したことがあったんです。


そのチャイルドは発見当時、幼稚園か小学生の低学年くらいで、すぐには統合できず、ゆっくり時間をかけて見ていったのですが、

その過程で、何かやりたいことがあるかどうか聞いてみると「テニスがやりたい」とかえってきたんです。


なるほどテニスかー、確かにむかし憧れたよなースコート履きたかったよなーあのボールがラケットに当たる音いいんだよねーあーやりたかったなーでも諦めたよねーなぜなら「自分には無理だから」。


そのときインナーチャイルドには、思う存分やったらいいよ! と、イメージの中でラケットやユニフォームをあげて、コートに送り出して終わったのですが、

先日、そのことをひさしぶりに思い出して、ちょっと愕然。


「テニスをやりたかった」というインナーチャイルドの思い、
つまりこども時代の体験、感情、記憶、エネルギーが、何十年かの時を経ても残ってるって、そのくらい強いものだったわけですよね。

それは、そのくらいテニスがやりたかった、というよりも、諦めるという体験、それも、やってみる前に無理だから、と決意したことがつらかったんだと気づいたんです。


もしも自分が運動が苦手、からだを動かすことは無理って思っていなかったら、
あのときどうしていたんだろう。

いまはもうテニスをやりたいとは思わないけれど、

こどものころ、可能性というものを体験をもって確かめることができずに諦めていくというのは、もしかしたら大人のそれよりもつらい、

というより、何か寂しかったんじゃないかなと思った。


ほかの人が同じ思いを持つのかどうかはわからないけれど、
こどものときのわたしは。



******


いろいろなことは、重ねていくといつしか慣れてしまう、特にあまりよくないことは。

自分はそうだと、世界はそういうものだと決めてしまう。


諦めてしまうことに、慣れないでください。

いつから信じることが難しくなってしまったんでしょう。


思い出してみてください。

わざわざ信じる、という決意すらすることなく、

また信じる、なんて思う隙もなくただただ目の前の体験、それ自体となって楽しみ、
よろこび、集中していたときのこと、


そのとき時間はありませんでした。

ただ、それそのものになっていた、

自分さえもそこにはいませんでした。


それ、そのものになって、軽やかに、ただただ動き、流れ、移り変わって。



********



急にメッセージがやって来たので、書いておきます。










いま水星が逆行中なんですよね。

いつもはなんか連絡がうまくいかないとか返信が遅いとかでもしや? と思って調べるくらいで、最初から調べておくことはしないんですけど、

先々週くらいにセッションを受けてくださった方からちょうど水星の逆行に入ると教えていただき、めずらしく、ちょっと意識しながら過ごしています。


で、そういえば前にこのブログにも逆行のこと書いたなと思い出し、今回はどんな感じかちょっと書いてみることにしました。


前回も書いたかもですけど、わたしは水星の逆行って嫌いじゃないんですよね、電気機器の危機とか連絡遅れたりとか、そうなったらそうなったで仕方ないというか、まあそれで命をとられるわけではないし、
これは逆行に限ったことじゃないですけど、起こることはどうあっても起こるわけで、起こったら起こったでしょうがないじゃん! と。


じたばたしたってしょうがないし、と、“頭でわかっていても” じたばたしてしまうこともあるし、そしたらひとしきりじたばたしたらいいし、結局そのじたばたもいつかは止まるし、そうやってすべては移り変わっていくわけで。



と、話がちょっとそれたので水星の逆行の特性のことをみてみると、
やっぱり過去の何かの浮上ですよね、これが醍醐味だとわたしは思ってるんですけど、

これってまさに振り返りチャンスじゃないですか、この波に乗っていろいろみていったらほんと玉手箱、いやびっくり箱かもですけど、いろいろ出てきて、うわ〜〜ですよ!


で、今回のわたしの収穫は、といってもまだあと半分くらいあるので中間発表ですけど、
もしかして、自分は身体を動かすことが苦手じゃないのかも? 実は運動神経悪くなかったんじゃね?? という、
自分にとってある意味青春がそこそこひっくり返るかもしれないような気づき。



わたしはこどものころから運動が苦手で、というのは、鉄棒とか登り棒があんまりうまくないとか、かいせんとうやマット運動で目が回ってしまうとか、跳び箱あんまり飛べないとか、かけっこも速くないとか、

とにかくいい成績もとれないし、自分は運動はだめなんだとずーっと思ってたんですね。

というか、自分=運動だめ。

そこについて振り返ることも疑うこともしないで生きてきたのです。


でもね、ちょうど先週くらいにセッションを受けてくださった方とからだの話をしているうちに、おや? でも自分、サッカーもソフトボールも好きだったし、選択授業で仕方なくやったバドミントンで、いっつも練習さぼってたのに試合で準決勝までいったよなとか、

バレーボールも自分のサーブで連続点数入ってたなとか、それに、ドッジボールでいつも最後まで当たらなかったのって、むしろ反射神経がよかったからじゃね? とか、

かけっこも短距離はだめだったけど、リレーや長距離、悪くなかったよなとか、そういえば幅跳びもそう悪くなかったし、高跳びはわりと跳べてたな、とか、
もう何十年も忘れていたことを思い出したんですよね。

そして、自分は運動神経がないと思ってたことでやらなかったこと、実は結構あるかも、と。


もっといえば、運動神経がない、からだを動かすことをしてもどうせできなくて嫌な気持ちになるだけ等々、
これも結局思い込みだったとしたら、、、と、
やってもだめだと途中で諦めてきたいくつかのことが浮かんできたんです。



よく、自分は苦手だからやらない、できないとおっしゃるひとがいます。
でも、もしかしたら、その「苦手」という “判断” こそが間違っているかもしれない。

苦手の背後にあるものをみてみたら、実はそれに気づくこと自体が大きなギフトかもしれない。

なぜなら、苦手と感じていることって、そう感じる理由があるから。

そこに気づいたら、自分は何を選んでいくのか。



別に、水星の逆行にかこつけなくてもいいし、いつ気づいたっていい、
それに、ほんとにそのせいかどうかなんてわからないですよ、だって検証のしようがないんだから。

でも、せっかくそんな意味をもつ動きが起こっているのなら、これは思い込みを外してほんとのことを知るキャンペーン期間だなと思うんですよね^^



実際、この時期にセッションさせていただいていて面白いのは、いかに現状に抵抗しているか、この抵抗に気づいて受け容れていこうとする方が多い気がする。

そこがゆるむとするするいろいろ解けていく、解けていかざるを得ないから。



もしかしたら、いまの自分を受け容れることのほうが、過去を振り返ることよりも難しいんじゃないかと思う。だから、振り返りたくないんじゃないんですかね。


だって、もしもいままでのことをみていったら、後悔とか罪悪感とか見たくないものとか、全部なだれ込んでくるもんね、いまの自分に。



結局のところ、いま、自分がいる場所、状況を受け容れていくことなんだと思うんです。

いつでも、ここからしかはじめられないし、

逆にいえば、いつだってここからはじめられる。


振り返ることや自分を見ていくことって、
自分の思い出したくないこと、見たくないこと、なかったことにしたいことを掘り起こすわけじゃなくて、

“ほんとに起こっていたこと” を知ること、

そしてそれは、必ずいまの自分にとってのギフトとして受け取れるものなのだと思います。



そんなわけで、やってもどうせ〜だから、とか、これはこういうもの、と、「自分は知ってるわかっている」という“頭の考え” は華麗にスルーして、

はじめて知ることのように、自分を振り返ってみるのはどうでしょう。


そう、振り返るのは、別に時間としての “過去” ではないんですよね^^








先日、寝る前に、ああ今年ももうすぐ終わりだなあ、と呟いて、いやいやいま6月だよ! と、自分でつっこみを入れ、なんでそんな気分になったのかと思ったら日曜日が夏至だったことに気づき、しかも日食とのこと。


切り替わり感はこれだったのかな? と、そのままボディスキャンなどをして、いつもならすぐに寝落ちでぐーすかいってしまうのにその晩は寝られず、なんでかなーと辿っていくと、ああそういえば去年はちょうどエジプトにいたんだなと。

ちょうど骨折とコロナのまさに “Stay HOME” 期間に、ようやく自分がエジプトに行った意味がわかりはじめた、というかいろいろつながってきたなと感じていたので、ひさびさにピラミッドやその関連にアクセスしてみると、これまでとは違うかたちでのコミュニケートというか情報の届き方。

これ、どうやればいいんだ? と探りつつ最初はちょっと慣れなかったのですが、なるほど、と頷くことも有り、まあまた必要があれば行くし、どうあってもこころが動かなければ自分の感覚にしたがうし、で、さて今度こそ寝ようと思ったもののまだ眠れず。

まだ何かあるのかい? と、そろそろメルカリにでも出そうかと思っていた「エメラルドタブレット」を1年ぶりに取り出して、適当にぱっと開いたページを読んでみると、うーん、という感じ。

今後、このことについて探求するかどうかはまた考えよう、と閉じたところでやっと眠ることができました。


わたしがはじめて自覚的にピラミッドにアクセスしたのは5、6年前で(こどものころから予兆はあったものの)、そのときに「なるべく早く来るように」と言われたのですが、あのときにみたこと、言われたことのすべては、去年実際に行ったときには体験できませんでした。


去年、自分はなんでエジプトに行く必要があるのか、もちろん情報はいくつかあったけれど、それは本質的なことではなくあくまでも情報に過ぎないし、本当の理由は正直よくわかっていなくて、

ただ何かすごいパワーやヒーリングのエネルギーみたいなものを貰うためとか、宇宙人の何かを知るためとかではないことはわかっていたので、より何故なんだろう? と思ってたんですよね。


で、それが最近になって思いがけない方向とつながり、でもそれはもともと自分が知りたかったこと、望んでいたことで、だから余計にびっくりしたんですけど、

その晩の情報とそれがどう結びついていくのか、今後わかってくるんだろうし、まあ別にわからなくてもいいやごはん美味しいし、この前の大葉はもう24名も芽を出したしなんかわかんないけど最近なんもしてないのに楽しいし、、

という感じの今年の夏至の自分です☆



去年のエジプトではいくつかの印象的な体験をしましたけど、その中で、自分にとってもっとも大きくて重要だったのは、ひとりでいるときに聞いたトートの言葉と、自分が鳥の目になってしまうという体験をさせてくれたホルスからのギフトでした。


このホルスの鳥の目は、全然理由がわからなくて、先々月くらいにこのブログにも書きましたが、夢の中で目だけになってしまうという体験、これもそのときはエジプトでの鳥の目のこととつながってるとは気づかず、
ほんとに最近理解できたことでした。



と、これからセッションなので、自分の理解のためにもエジプトのことは後日また。


そうそう、最近セッションを受けてくださった方たちの理解の深まりや気づきの度合いが、ほんとすごいなーと感じることが続いていて、人間やっぱりすごいしまだ自分、この仕事を続けていってもいいのかなと思ったりしてます。



というわけで、また。

せっかくなので、ホルス氏載せときます。


あと、先日ひさしぶりにコンタクトしたスフィンクス氏。このひとはほんとにやさしいね。
できることならハグしたいです。




以前、目に見えないものについて書く、と書いてから、書かなきゃと思いつつも、なかなか難しく。

それは骨折やらコロナウィルスの関連で起こってきた日々の自分のことでいっぱいだったことと、
同時に、書こうと思ったあのときから意識が変化していったこと、いざ書く段になると、このブログの枠で簡単に書き切れるものではないよね、ということなどなど。

そして、あの時点でもまだ疑問に思っていたことや、どう説明したらいいのだろうと思うこともあって、書くという行為とともに理解が起こるのではないか、そして書くと宣言しないときっと書かずに終わるだろうと、有言実行をねらったわけなのですが、そううまくはいきませんでしたね(笑)。


で、先日引き寄せのことをちょっと書いた勢いで、あのあと、とりあえず書いてはみたんですけど、こんなことをわざわざ書き伝えたいんだろうか、自分がやりたいのってこういう方向なんだっけ? 等々思うことがあり、

そのまま自分をみていくうちに、不要な思考がまだまだあるのはわかってるけど実は死角みたいになってた信念というかポリシーみたくなってるやつ、これ自体が最もいらないものなのでは?? と気づいて、とりあえずアップするのを中止、
急遽30年来の親友とスカイプして、ほぼわたしがインタビューする感じで彼女自身のことを聞きまくったり。



その親友は以前、メジャーな音楽雑誌のカメラマンなどをしていたのですが、あるときから写真をやめて表立った活動もしなくなっていたんですけど、一昨年くらいに一緒にごはんを食べているときに、突然、実は最近、また写真をやり出したと、しかも名前を変えてある作品展で入賞したり、zineを作って無料でお店に置いている、絶対に自分だとわからないように活動してると聞いてびっくり。旦那にも話していないとのこと。

しかも去年の末には、世界の誰もが知っている某ハイブランドから声がかかったのにも関わらずスルー、スピリチュアルとかには興味がないひとなのですが、あんた自身が神秘だよ! という感じで、
彼女が自分のそうした活動をどう捉えているのか、なぜ仕事としてやらないのか等、質問してみたのでした。


結局、彼女のこたえから直接的に何か得たりはしなかったんですけど、きのう1日、では自分はどうなんだろうかとどんどん突き詰めていって、

やはりこの考えいらない、この思いもいらない、この感情を生んでる思考いらない、すると、書いたブログの内容について、やっぱりどうでもいいなこんなこと、

そんなことよりみんないま目の前のことに集中して自分自身に興味を持って、いまの自分を楽しんだらいいそれだけだよそれがすべてだよと思い、

おなかも空いたのでカレーを食べて、インターネットの番組表を開いたら、たまたま「ブラックホールは実在するか」という番組がやっていたのでみてみたんです(ここまで長いね笑)。



今年のはじめか、いつか忘れましたけど、ブラックホールについての新しい記事をみた気がするんですけど(初めて撮影に成功したというやつだったかも?)、その番組は特に新説みたいな話ではなく、完全に実在するとは言えないし、ないとも言えない、その理由について数名の科学者がそれぞれ語るという内容でした。


で、面白かったのは、相対性理論でも量子論でも説明できず、その両方を統合するという方向で研究を進めているのだが、現状では統合はできないと、つまりパラドックスなんだという話。


それでも科学は、これはこのようにして成り立っている、と、一つのことに帰結させて証明しなくてはならない。それも、相対性理論も量子論、その両方で別のことが証明されている以上、それらも同時に成立させた理論で証明しなければならないと。

で、少なくともいまはできないが自分はこう思う、と、それぞれがいろいろな説(地球や惑星が逆にブラックホールの中に存在しているとか、ホーキング博士のブラックホールには毛が生えてる説とか、そもそもブラックホール自体存在しないとか、証明できないけど存在してるとか)を繰り出してくるわけですが、

全員一致で言えることは、とにかくわからないんだと、わたしには、何かそれがすがすがしく見えたんです。

そのわからなさを認めて、受け容れている姿が。


で、自分がとりあえず書いてみた目に見えないことについてのことって、まさにこれだよなあと。

もちろん、ブラックホールを証明するような壮大な何かを提示しようとしているわけでも(笑)できるわけでもまったくないですけど、

結局、パラドックスなんですよね、そしてわたしたちの知覚では、エゴやマインドを納得させられる証明ができない。


なぜなら、目に見えないものって、この三次元の物質空間としての知覚では知覚できないものだから。

たとえブラックホールの存在が科学的に証明できたとしても、地球や別の惑星を肉眼で見たり、着陸して感じたりするようには体験できないんですね、そこにもパラドックスがある。

でも、この視点でいけば、自分なりの捉え方が書けるかもしれないと思った。



そして、パラドックスもまた概念なんです。

それは、すべてのことは白か黒か、のように割り切れるもの、これはこういうものだと断定、つまり物質として、あるいは五感として経験できるものが真実、
という考えがわたしたちの基盤になっているから。

そこから漏れているものは存在しない、という考え。


それを証明しようとするのが科学というものですよね。
科学のすごいところは、存在しないことも証明しなくては科学ではないということ。

そういう意味で、わたしはすごくいいなと思う。

科学で証明できないから存在しない、って言うひと、すごく多いですけど、いやいや、存在しないことも証明できてないから!  



ちょっと余談になるかもですが、
ときどきわたしは普通ですねとか、もっとトランスに入ったりしてすごいことになるのかと思ってましたとか言われることがあるのですが、

ほんとの意味でのスピリチュアルってそういうことではないと思うし、

そもそも知覚できないことは、どれだけ考えようが調べようがその知覚内ではできないわけで、

それを理解して受け入れない限り、ほんとのことって見えてこないと自分は思ってるみたいです(へんな言い方ですけど)。


過去生や未来の情報を得ることや、天使やアセンデッドマスターとつながること、死者や宇宙人とコンタクトすることは、スピリチュアルというものの本質ではなく、ひとつのあらわれなんですよね。

不思議な体験とか、それこそトランスに入ったり光やすごい色をみたり圧倒的な喜びに包まれるというような神秘体験もまた。


それが本質だとして追いかけたり、全能感をもったり盲信したりすると、カルトのようになってしまうんだと思います。自分ではまったくそういうつもりはなくても。

というか、自覚がないからこそですね。



って、なんだかんだいって、ざっくりですけど、自分が言いたかったことが書けた気がします^^

もう少し仔細に書きたくなったら、また後日書いてみます。


では、いい感じの日曜日を❤️











今日、友だちからおしゃれマスクと大葉の種が届き、先ほど大家さんの奥さんが、ガスの警報機を取り換えるための日程確認のついでに、足の様子を見に来てくださり、いろいろ話していると、突然ちょっと待ってて、と、後からお餅とびわ、味付け海苔やジンジャーエールなどを持って来てくださいました。




最近セッションを受けてくださった方の何人かにはお話ししたんですけど、実は先月くらいに急にお餅が食べたくなり、でもお正月じゃないしなあ、どっちにしても自分で買いに行けないし、と思っていたら、翌日大家さんの奥さんにいただいたわけなんですが、

昨夜、お餅と枝豆とチーズを一緒にフライパンで焼いて、ちょっとお醤油を垂らしたりしたら絶対に美味しいよな、、と考えていたところ、先ほど再度お餅をゲット、わたしの夢が叶うこととなりました(笑)。


そしてびわ、実はこれも今朝、納豆がそろそろなくなるのでネットスーパーで注文しようと思ったときに、ああ果物が食べたい、でもいまの時期、ネットスーパーでは防腐剤たっぷりのオレンジとか旬を過ぎて高くなってしまったりんごくらいしか買えず、いまの旬ってなんだっけ、ああびわだよね、びわ食べたいなーでも今年は無理かな、と思っていたところにやって来てくれたのでした。


その他、生体エネルギーを自分で測るデバイスで、最近ビタミンKが圧倒的に必要と出ていて、おそらく骨折に関連してるんだと思いますが、もう実際に肉体として摂取したほうがいいなと、これも今朝ネットで食品を調べると、納豆や海藻類が挙がっていて、納豆は朝の定番で毎日食べてるし、確かに前々回の注文以降、わかめも海苔も切れたままだったわ、と思っていたところに登場(味付けではありましたが笑)。


写真には写っていないジンジャーエールについては、これがまた面白いんですけど、ネットスーパーのトップ画面にジンジャーエールが出ていて、飲みたい気もするけどまあいいか、と思っていたところでした。



一時期、引き寄せの法則が流行りましたが、もともと、小さい頃から今回みたいな食べものなど物理的なものだけでなく、お金やパートナー、知りたいことなどの情報もひんぱんにやって来ていたので、一連の本を読んで、なるほど、といろいろ納得することはあったものの、わたしの場合は本の通りに実践しようとすると、逆にできなくなったんです。


その理由をいろいろ紐解いていくと、結局のところ、こうしたやり方をすればいいのだ、と、プロセスをエゴ/マインドが設定してしまうからだと思うんですね。


その根底にあるのはやはり、「何かを得るためには何かをしなくてはいけない」という思考、もっといえば「得る」とか 「達成」という “概念” を信じているからだと思うんです。


そんなの当たり前なのでは? と思うかもですが、本当に起こってることはそうではなくて、そもそも、引き寄せ、という言葉というか概念自体が違う気がするんですね。

これはわたしの感覚ですけれども、どこかに存在するものを自分に引き寄せて手に入れるのではなくて、それは発生するんですよね、プロセスは後付けなんです。得ようとする必要が最初からない。


なぜプロセスは後付けかといえば、そこには時間が関連しているからで、つまり時間の概念を外してしまうとプロセス自体は無効にならざるを得ない、逆にいえば、時間の概念の採用によってプロセスが発生するわけなんです。



あんまり書くとエゴ/マインドがまたかっさらっていくのでやめておきますが、あえて“コツ” を書くとすると、自分とその対象との関係がニュートラルであることですかね。


でも、この時間の概念を外すと、ほんとにすべてが変わります、変わらざるを得ない。

まず過去、現在、未来、という一連のストーリーも消えてしまいます。
〇〇だから△△、が完全に成り立たないことがわかります。

何もせずに自由☆


ちなみに、おしゃれマスクと大葉の種は、先日オンラインお茶会のときに友人が余ってるから送る、と言ってくれて、わたしの中の何がそれを発生させたのかは不明ですが(笑)、

そうしたことを気にするのは典型的なエゴの働き(つまり理由、プロセスがはっきりしないと認めないという思考)で、この世界、この宇宙の無限のあらわれを限定すること、もっといえばすべて知っていなければならない、まさに辻褄、プロセス=時間を採用することで、本当に起こっていることとは対局の思考なんですよね。


で、さらにいうと、探せばその理由も発生するわけです。



しかしわたしたち人間は、ほんとにプロセスが好き、正誤が好き、善悪が好きだよなあと思います。

もちろん、好きなわけじゃなく、そういうものだと振り返る発想もなく生きてるだけなのですが。


というわけで、お餅食べます☆