呼吸のクラス3-3



そういえば。

きのう瞑想しているときに、ぼわわ〜と白い服を着たひとりのインド人男性があらわれて「わたしもサポートしているよ」と言われたんですけど、へーそうなんですね、ありがとうございます、これからもよろしくお願いします、と伝えましたが、

たしかにクラスの最中、聖者系の方々がときどきちらっちらっとみえたりしていたので、
最終回でお伝えした方々以外にもいろんなサポートがあったんだなあとしみじみしました。


さて、今回も第3回のご感想です。

この回は「呼吸と感情」というテーマで、それまでのベーシックな呼吸法ではなく、

呼吸で感情が解放できること、何かヒーリングといった形式や、特別な方法をつかわなくても癒しは起こるのだということを体験していただきたいと思って組んだ内容でした。

早速、土曜日クラスのKさんのご感想です。


毎回この呼吸クラスと私に起こる出来事がタイムリーなことに、もう意味づけはやめて、ありがたく受け容れて感謝することにしました(笑)

第三回のペアワークも不思議でした。

ペアがEzuminさんだったのに驚きとうれしさと、ちょっぴり緊張でした。

今気がかりなことをペアに聴いてもらうだけ。その時、私にはこれしかない!というお話を聴いてもらったのですが、聴いてもらって、話すうちに自分の頭の中が整理されて、もやもやの正体が言語化していったのですね。私のもやもやの正体は「罪悪感」でした。

お話しながら、そっかー。やっぱりこれなんだ!-っと。わずか2.3分でしたが、話しながら頭では数日間のもやもやが罪悪感で占めていることに気づいて、話終わりには確固たる答えだとその時お話ししたと思いますが…。

私にとっては因縁の罪悪感なのです。

1年前に自分と向き合って手放したいと思って、また、手放したのではないか?と思っていた罪悪感が復活?まだ残っていたのでした。


これも終わって数日たったから分析できている?!のですが…

自分でもやもやしていた時はこの「罪悪感」という言葉に蓋をしていたんですよね。自分以外の人にただ聴いてもらうだけで浮上した私の想いの正体…。


ワークが終わり、Ezuminさんがおっしゃったのは、ただ相手に聴いてもらっただけで、エネルギーワークやヒーリングと同じような癒しが起こったという事実!!!

普段の生活に、人と話すことと聴くことをもっと取り入れていきたいと思いました。


第三回では、解放の呼吸、ハートコヒーレンス(心臓呼吸)を初めてやったのですが、特にハートコヒーレンスは涙が止まらなくなるくらいの幸福感で充たされて、皆さんに気持ちのシェアを言葉で伝えられなくて残念でした。
その時はゆっくりその充足感を味わっていたかったのが本音です。


また、その充足感を味わった数日後に「あの感謝はどこへ行ったのか?」というネガティブな感情が沸き上がり、悶々としていたのですが、その後送られてきた動画を見て、Oさんが、現実とのギャップを感じたという感想をおっしゃっていて安堵した自分がいました。


もう今週末で最終回!
あっという間の様な、でも濃い内容にすごく長い時間の様な、
毎回ですが、楽しみにしております。

シェアをして下さる皆様のお話にもたくさんの共感と気づきがあります。

感謝します♪


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前回のご感想のところでも書きましたけど、その後もこの回はセッションを受けたみたいだったという声をたくさんいただいて、ハートで生きるってよくいうけど、それって実際なんなの??
という、わたし自身も持っていた疑問のこたえが、エビデンスも含めて得られた呼吸法に出会えたことから、クラスでやってみようと思いました。


ハートに関する呼吸法や瞑想ってすごくたくさんあるじゃないですか、

わたしも最初、もっとスピリチュアル寄りの別のアプローチを考えていたのですが、回を重ねるごとに、自分のやりたいことを常に見つめていくプロセスになっていて、やっぱりこっちだわ! と、やってみてほんとによかったと思っています。


それから、シェアリングの時間、そうよね、なんかこうもっとゆっくりとご自身の感情を味わえるような余白、というか全体の時間設定、もうほんと、頭つかって考えたことってだめね、

というか、このクラスのほかの部分はそのときどきで起こることにしたがっていったのに、この時間というものについてが、そこにフィットしなかったんですよね(あと、わたしのおしゃべりの多さ…)。

とても反省しています。。


でも、この時間について、今後さらに別の視点でみていく必要あり、ということで、

そういった意味でも自分の課題となりました。


そしてペアワークは、もっとわかりやすく、かつ深く理解&体感できるような内容で、今度は単発でやってみたいと考えています。


というわけで、Kさん、ありがとうございました!


次は、土曜日クラスのNさんからのご感想です。



三回目の感想を少しお伝えしたくメールしています。
本音は相変わらず、生きていたくないと生きなくちゃの行ったり来たりの中、毎日暑さ等であまり呼吸ができずにいます。
眠れない時に、少しやって落ち着くのは、呼吸法をやっているという達成感かな?って思いました。それでも良いかな?って少し自分に寄っています。それが少し自分を楽に感じました。


ワークは、本当にありがたい経験でした。
極端ですが、私にもエネルギーがあるんだと頭ではなく感じることができた経験でした。

これまで、他の人のエネルギーに自分をあわせて生きてきたようで、自分のエネルギーがあるなんて、言葉で知っていても府に落ちず迷子でした。
感じることができた経験だけを今、拠り所に生きています。


ここまでかいていて、何でこんなに生きていたくないのかなぁーと思ってしまうのですが、今はそのまま、原因追求しなくてもまっ良いか…にします。

私のざっくりした感想ですが、ネバーエンディングストーリーの映画で終わりの方で世界が希望がなく真っ暗になります。主役の少年が物語を創造して世界が又、始まりました。
三回目の今しかない、洗濯パタパタのお話で映画のそのシーンを思い出しました。

今、お伝えしたく乱文ですが感想送らせて頂きます。


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いま、以前テレビでみた話を思い出したんですけど、ある老齢の男性が不治の病でお医者さんから見放され、もうだめだと諦めていたときに、クリスチャンの息子さんが聖骸布の切れ端を手に入れて、お父さんに渡したら病気が治った、でもほんとはそれは聖骸布ではなくただの布だったという話。


よく聞くような内容ですけど、それってたしかにあることですよね。

むかし、葉っぱにお経を書いてそれを患部に貼り付けていたとかも、実際はそういう種類のことなのかもだし(尊敬する鍼灸師の先生は「祈り」が癒すのだとおっしゃってました)、

特にホメオパシーで快癒した話に対して、絶対に認めないというお医者さんとかいらっしゃいますが、

でもさ、治ったんならいいんじゃないの?

なんでそのプロセスにこだわるんだろう、目的は、そのひとの病気が治ったり楽になることなんじゃないのかな。

なんでよくなったことのほうに目を向けないんだろう、本人が治ったっていってるのに。


ご感想を読んで、そんなことを思いました。


このクラスの間には、自分が探したわけでもないのに呼吸に関連する情報がたくさんやってきましたが、その中のひとつに、呼吸法と瞑想で脳梗塞の後遺症が治癒したという方との出会いがありました。


絶対、なんてどこにもなく、そのときどきの何かがあるだけだけれども、

自分の、その体験を受け容れたら、それでいいんじゃないでしょうか。

世界って、わたしたちが思っているよりも、ずっとやさしさにあふれていると感じます。

自分が自分にやさしさを向けるなら、なおさらに。


ネバーエンディングストーリー、わたしも大好きな映画のひとつです。

ひさびさに観てみようかなと思いました。


Nさん、ありがとうございました。ゆっくりやっていったらいいですよね。



というわけで、また!