水星の逆行の素敵さ・2



いま水星が逆行中なんですよね。

いつもはなんか連絡がうまくいかないとか返信が遅いとかでもしや? と思って調べるくらいで、最初から調べておくことはしないんですけど、

先々週くらいにセッションを受けてくださった方からちょうど水星の逆行に入ると教えていただき、めずらしく、ちょっと意識しながら過ごしています。


で、そういえば前にこのブログにも逆行のこと書いたなと思い出し、今回はどんな感じかちょっと書いてみることにしました。


前回も書いたかもですけど、わたしは水星の逆行って嫌いじゃないんですよね、電気機器の危機とか連絡遅れたりとか、そうなったらそうなったで仕方ないというか、まあそれで命をとられるわけではないし、
これは逆行に限ったことじゃないですけど、起こることはどうあっても起こるわけで、起こったら起こったでしょうがないじゃん! と。


じたばたしたってしょうがないし、と、“頭でわかっていても” じたばたしてしまうこともあるし、そしたらひとしきりじたばたしたらいいし、結局そのじたばたもいつかは止まるし、そうやってすべては移り変わっていくわけで。



と、話がちょっとそれたので水星の逆行の特性のことをみてみると、
やっぱり過去の何かの浮上ですよね、これが醍醐味だとわたしは思ってるんですけど、

これってまさに振り返りチャンスじゃないですか、この波に乗っていろいろみていったらほんと玉手箱、いやびっくり箱かもですけど、いろいろ出てきて、うわ〜〜ですよ!


で、今回のわたしの収穫は、といってもまだあと半分くらいあるので中間発表ですけど、
もしかして、自分は身体を動かすことが苦手じゃないのかも? 実は運動神経悪くなかったんじゃね?? という、
自分にとってある意味青春がそこそこひっくり返るかもしれないような気づき。



わたしはこどものころから運動が苦手で、というのは、鉄棒とか登り棒があんまりうまくないとか、かいせんとうやマット運動で目が回ってしまうとか、跳び箱あんまり飛べないとか、かけっこも速くないとか、

とにかくいい成績もとれないし、自分は運動はだめなんだとずーっと思ってたんですね。

というか、自分=運動だめ。

そこについて振り返ることも疑うこともしないで生きてきたのです。


でもね、ちょうど先週くらいにセッションを受けてくださった方とからだの話をしているうちに、おや? でも自分、サッカーもソフトボールも好きだったし、選択授業で仕方なくやったバドミントンで、いっつも練習さぼってたのに試合で準決勝までいったよなとか、

バレーボールも自分のサーブで連続点数入ってたなとか、それに、ドッジボールでいつも最後まで当たらなかったのって、むしろ反射神経がよかったからじゃね? とか、

かけっこも短距離はだめだったけど、リレーや長距離、悪くなかったよなとか、そういえば幅跳びもそう悪くなかったし、高跳びはわりと跳べてたな、とか、
もう何十年も忘れていたことを思い出したんですよね。

そして、自分は運動神経がないと思ってたことでやらなかったこと、実は結構あるかも、と。


もっといえば、運動神経がない、からだを動かすことをしてもどうせできなくて嫌な気持ちになるだけ等々、
これも結局思い込みだったとしたら、、、と、
やってもだめだと途中で諦めてきたいくつかのことが浮かんできたんです。



よく、自分は苦手だからやらない、できないとおっしゃるひとがいます。
でも、もしかしたら、その「苦手」という “判断” こそが間違っているかもしれない。

苦手の背後にあるものをみてみたら、実はそれに気づくこと自体が大きなギフトかもしれない。

なぜなら、苦手と感じていることって、そう感じる理由があるから。

そこに気づいたら、自分は何を選んでいくのか。



別に、水星の逆行にかこつけなくてもいいし、いつ気づいたっていい、
それに、ほんとにそのせいかどうかなんてわからないですよ、だって検証のしようがないんだから。

でも、せっかくそんな意味をもつ動きが起こっているのなら、これは思い込みを外してほんとのことを知るキャンペーン期間だなと思うんですよね^^



実際、この時期にセッションさせていただいていて面白いのは、いかに現状に抵抗しているか、この抵抗に気づいて受け容れていこうとする方が多い気がする。

そこがゆるむとするするいろいろ解けていく、解けていかざるを得ないから。



もしかしたら、いまの自分を受け容れることのほうが、過去を振り返ることよりも難しいんじゃないかと思う。だから、振り返りたくないんじゃないんですかね。


だって、もしもいままでのことをみていったら、後悔とか罪悪感とか見たくないものとか、全部なだれ込んでくるもんね、いまの自分に。



結局のところ、いま、自分がいる場所、状況を受け容れていくことなんだと思うんです。

いつでも、ここからしかはじめられないし、

逆にいえば、いつだってここからはじめられる。


振り返ることや自分を見ていくことって、
自分の思い出したくないこと、見たくないこと、なかったことにしたいことを掘り起こすわけじゃなくて、

“ほんとに起こっていたこと” を知ること、

そしてそれは、必ずいまの自分にとってのギフトとして受け取れるものなのだと思います。



そんなわけで、やってもどうせ〜だから、とか、これはこういうもの、と、「自分は知ってるわかっている」という“頭の考え” は華麗にスルーして、

はじめて知ることのように、自分を振り返ってみるのはどうでしょう。


そう、振り返るのは、別に時間としての “過去” ではないんですよね^^