宇宙とパラドックス、目に見えないものについてのこと。



以前、目に見えないものについて書く、と書いてから、書かなきゃと思いつつも、なかなか難しく。

それは骨折やらコロナウィルスの関連で起こってきた日々の自分のことでいっぱいだったことと、
同時に、書こうと思ったあのときから意識が変化していったこと、いざ書く段になると、このブログの枠で簡単に書き切れるものではないよね、ということなどなど。

そして、あの時点でもまだ疑問に思っていたことや、どう説明したらいいのだろうと思うこともあって、書くという行為とともに理解が起こるのではないか、そして書くと宣言しないときっと書かずに終わるだろうと、有言実行をねらったわけなのですが、そううまくはいきませんでしたね(笑)。


で、先日引き寄せのことをちょっと書いた勢いで、あのあと、とりあえず書いてはみたんですけど、こんなことをわざわざ書き伝えたいんだろうか、自分がやりたいのってこういう方向なんだっけ? 等々思うことがあり、

そのまま自分をみていくうちに、不要な思考がまだまだあるのはわかってるけど実は死角みたいになってた信念というかポリシーみたくなってるやつ、これ自体が最もいらないものなのでは?? と気づいて、とりあえずアップするのを中止、
急遽30年来の親友とスカイプして、ほぼわたしがインタビューする感じで彼女自身のことを聞きまくったり。



その親友は以前、メジャーな音楽雑誌のカメラマンなどをしていたのですが、あるときから写真をやめて表立った活動もしなくなっていたんですけど、一昨年くらいに一緒にごはんを食べているときに、突然、実は最近、また写真をやり出したと、しかも名前を変えてある作品展で入賞したり、zineを作って無料でお店に置いている、絶対に自分だとわからないように活動してると聞いてびっくり。旦那にも話していないとのこと。

しかも去年の末には、世界の誰もが知っている某ハイブランドから声がかかったのにも関わらずスルー、スピリチュアルとかには興味がないひとなのですが、あんた自身が神秘だよ! という感じで、
彼女が自分のそうした活動をどう捉えているのか、なぜ仕事としてやらないのか等、質問してみたのでした。


結局、彼女のこたえから直接的に何か得たりはしなかったんですけど、きのう1日、では自分はどうなんだろうかとどんどん突き詰めていって、

やはりこの考えいらない、この思いもいらない、この感情を生んでる思考いらない、すると、書いたブログの内容について、やっぱりどうでもいいなこんなこと、

そんなことよりみんないま目の前のことに集中して自分自身に興味を持って、いまの自分を楽しんだらいいそれだけだよそれがすべてだよと思い、

おなかも空いたのでカレーを食べて、インターネットの番組表を開いたら、たまたま「ブラックホールは実在するか」という番組がやっていたのでみてみたんです(ここまで長いね笑)。



今年のはじめか、いつか忘れましたけど、ブラックホールについての新しい記事をみた気がするんですけど(初めて撮影に成功したというやつだったかも?)、その番組は特に新説みたいな話ではなく、完全に実在するとは言えないし、ないとも言えない、その理由について数名の科学者がそれぞれ語るという内容でした。


で、面白かったのは、相対性理論でも量子論でも説明できず、その両方を統合するという方向で研究を進めているのだが、現状では統合はできないと、つまりパラドックスなんだという話。


それでも科学は、これはこのようにして成り立っている、と、一つのことに帰結させて証明しなくてはならない。それも、相対性理論も量子論、その両方で別のことが証明されている以上、それらも同時に成立させた理論で証明しなければならないと。

で、少なくともいまはできないが自分はこう思う、と、それぞれがいろいろな説(地球や惑星が逆にブラックホールの中に存在しているとか、ホーキング博士のブラックホールには毛が生えてる説とか、そもそもブラックホール自体存在しないとか、証明できないけど存在してるとか)を繰り出してくるわけですが、

全員一致で言えることは、とにかくわからないんだと、わたしには、何かそれがすがすがしく見えたんです。

そのわからなさを認めて、受け容れている姿が。


で、自分がとりあえず書いてみた目に見えないことについてのことって、まさにこれだよなあと。

もちろん、ブラックホールを証明するような壮大な何かを提示しようとしているわけでも(笑)できるわけでもまったくないですけど、

結局、パラドックスなんですよね、そしてわたしたちの知覚では、エゴやマインドを納得させられる証明ができない。


なぜなら、目に見えないものって、この三次元の物質空間としての知覚では知覚できないものだから。

たとえブラックホールの存在が科学的に証明できたとしても、地球や別の惑星を肉眼で見たり、着陸して感じたりするようには体験できないんですね、そこにもパラドックスがある。

でも、この視点でいけば、自分なりの捉え方が書けるかもしれないと思った。



そして、パラドックスもまた概念なんです。

それは、すべてのことは白か黒か、のように割り切れるもの、これはこういうものだと断定、つまり物質として、あるいは五感として経験できるものが真実、
という考えがわたしたちの基盤になっているから。

そこから漏れているものは存在しない、という考え。


それを証明しようとするのが科学というものですよね。
科学のすごいところは、存在しないことも証明しなくては科学ではないということ。

そういう意味で、わたしはすごくいいなと思う。

科学で証明できないから存在しない、って言うひと、すごく多いですけど、いやいや、存在しないことも証明できてないから!  



ちょっと余談になるかもですが、
ときどきわたしは普通ですねとか、もっとトランスに入ったりしてすごいことになるのかと思ってましたとか言われることがあるのですが、

ほんとの意味でのスピリチュアルってそういうことではないと思うし、

そもそも知覚できないことは、どれだけ考えようが調べようがその知覚内ではできないわけで、

それを理解して受け入れない限り、ほんとのことって見えてこないと自分は思ってるみたいです(へんな言い方ですけど)。


過去生や未来の情報を得ることや、天使やアセンデッドマスターとつながること、死者や宇宙人とコンタクトすることは、スピリチュアルというものの本質ではなく、ひとつのあらわれなんですよね。

不思議な体験とか、それこそトランスに入ったり光やすごい色をみたり圧倒的な喜びに包まれるというような神秘体験もまた。


それが本質だとして追いかけたり、全能感をもったり盲信したりすると、カルトのようになってしまうんだと思います。自分ではまったくそういうつもりはなくても。

というか、自覚がないからこそですね。



って、なんだかんだいって、ざっくりですけど、自分が言いたかったことが書けた気がします^^

もう少し仔細に書きたくなったら、また後日書いてみます。


では、いい感じの日曜日を❤️