鹿の夢〜 “わからないこと” への愛。


今朝、5週目の検診に行ったのですが、ギプスが半分になりました。

でも、まだ体重をかけてはいけないので、生活はあまり変わらないのですが、
ギプス結構重いので、だいぶらくになりました。

あと、今晩から折れたほうの足も洗えるようになったので、うれしいです。
アロマオイルでマッサージもしようと思います。楽しみ♪



さて、先日の「鹿の夢」に書いた、鹿のメディスンに関するネイティブ・アメリカンのお話。

メディスンカードというネイティブ・アメリカンの智慧を結集したカードに掲載されているものですが、
ざっくり意訳して書いてみます。



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ある日、聖なる山の頂上からグレート・スピリットの呼ぶ声を聞いた子鹿は、
すぐに聖なる山へ向かいました。


グレート・スピリットが住むロッジへ続く道の途中には、

恐ろしい悪魔があらゆる存在をグレート・スピリットから遠ざけるために番をしていましたが、
子鹿はそのことを知りません。

悪魔は「グレート・スピリットは誰にも会いたくない」などと言って来る者を阻み、
彼らを怖がらせ、自分のパワーを証明しようとしていたのです。


ところが、子鹿は悪魔をまったく怖がりませんでした。

悪魔は、この世界の怪物の原型である自分を前に、恐れない子鹿に好奇心を抱き、
口から炎や煙を吐き出し、恐ろしい声を上げて脅かしました。
普通なら、どんな生きものも恐怖で逃げるか、その場で死んでしまったでしょう。


子鹿は静かに、やさしく言いました。

「わたしは、グレート・スピリットに会いに行く途中なのです」。



子鹿の目は、愛と慈しみに満ちています。

悪魔は、自分を見る子鹿の、恐れのない目に驚き、
どんな手を使っても子鹿を怖がらせることはできないと悟りました。

なぜなら、悪魔の醜く凍りついたハートを、子鹿の愛が貫いていたからでした。


岩のような悪魔のハートはたちまち溶け出し、巨大な身体はどんどん小さくなり、
クルミほどの大きさになってしまいました。


子鹿のやさしさ、穏やかさ、慈しみ、普遍の愛が、悪魔を溶かしました。

そして道は開かれ、グレート・スピリットのすべてのこどもたちが、
「恐れ」という悪魔に閉ざされることなく、
聖なる山へと向かうことができるようになったのです。


鹿は、聖なる山からわたしたちを遠ざけようとするのは、
傷ついた存在のこころであることを教えます。
そのこころに触れるのは、“やさしさのパワー” であると。


子鹿の美しいまだら模様のように、光と闇の両方を愛することで、
平和と安らかさをもたらすことができるのだと。



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この物語からのメッセージは、

「すべての傷を癒すやさしさをもつこと」。

誰かや何かを無理やりに変えようとするのではなく、あるがままを愛すること。

自分の状況に “やさしさ” をもつこと。


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いや、正直、いまのこの状況で、このメッセージはなかなかきびしいよねと思うし、
それどころじゃないんだよ、と、リアリティは薄いだろうとも思うんです、
やさしさとか言ってないでもっと具体的なことを! と。


けれども、わたしが注目したいのは、“恐れ” についてなんです。


なぜひとが何かに恐怖するかというと、それがわからないからだと思うんですね。
これが一体自分にどう影響するのか、この先自分がどうなってしまうのか。。


この“わからなさ” って、ほんとは恐れだけじゃなく、
わくわくと楽しい期待に向かう場合もあるじゃないですか。

プレゼントをもらって何が入ってるのかわからないとき、
好きなひとからのリアクション、
初めて訪れる場所への旅、
明日のおやつ、みたいな日常の中の些細なわからなさにさえ、
わくわくしたりもする。


これ、結構なハードルを設けてるよね、って思います。
ほんとリアリティないよ、きれいごと言ってんじゃねーよとか。

でもさ、これ、時と場所が変わればそうでしょ?
嘘ではないですよね?
この状況の中でも起こってるし、
これからも起こり得ることでしょ?


だとしたら、わくわくしたわからなさに目を向けてるのと向けていないのでは、
まずいろいろなことの視点が変わり、
すると選択も決断も変わってくると思うんです。
だってわたしたち、ほんとはどっちに行きたいの?? って。


子鹿は言います、両方を受け容れてみようよって。
自分のからだの模様のように、それは両方あるんだよって。


いや、子鹿はそんなことは言わないんですよ、
なぜなら、この物語の子鹿には、“恐れ” という概念自体がないから。

同時に、愛もやさしさも信頼という概念もない。
なぜなら、愛そのものだから。


もっと具体的な何かを! はもっともなことです。
それでも、背後にあるもの、これは変わらない。
目を向ける余裕はないかもしれないけれども普遍、消えたりしないもの。


怒ったり、声を上げることが悪いわけでは全然ない。
わたしだってふざけんな! と思うことが多々あるし、
実際に多くの声が反映されて多少なりとも風景が変わってもいますよね。


そして、不安になったり、気力をなくしたりもまた、悪いことではまったくない、

むしろこの状況をみたら当然の “反応” だと思います。


その中で、もしかしたら、

こころのどこかに響くひとがいるかもしれない、と思って書いてみました。

何より、自分がこのことを思い出す夢をみちゃったので(笑)。



というわけで、何かの参考になれば。


こんな時期なので、また書きます。

“わからないこと” を楽しめたらいいですね。