近況と未来。


セッションをお休みしてひと月ちょっと経ちましたが、この期間は自分にとって、なんと言ったらいいのかまだわからないくらい日々変化というか、そろそろ落ち着くのかなと思えばまた景色が変わり、着替えようと思ったらまた別の季節がはじまる、みたいな、何度も衣替えを繰り返しているような、そんな日々です。

「でした」ではなく「です」なのは未だ進行中で、いったいどこまでいくんだろうなと思いつつ、あっという間に11月。


本当はどこかの国でのんびりするとか、いわゆる休暇、みたいな過ごし方をしたいなと思ったりもしてたんですけど、すでにいくつかセミナーの申し込みをしていたり、さらに、ちょうど台風19号の数日前くらいから脇腹、腰、背中あたりの主に背面に鋭い痛みが起こるようになって、精神的にもひさびさにかなりひどい状態になったり、結局痛みは帯状疱疹の一種(発疹の出ない)で、めずらしくほかの仕事も一切入らず、これは完全に腹をくくって自分の癒し、回復に専念しようと思ったのでした。


この痛み、以前、海外で共同生活をしていたときにはじめて起こったのですが、歩くと激痛、からだの向きを変えると激痛、そこそこ重量のあるものを持つと激痛、横になったら激痛、と、ちょっと動いたら痛、寝ても痛、と、経験したことのある方はお分かりの通り、ほぼ逃げ場なし。

今回は以前ほどではなかったので、最初はお灸やセルフワークなどでなんとか乗り切ろうとしたのですが完全には改善されず、ここしばらくお世話になっている調整と、ホメオパシーでようやくおさまったのが10月の終わり、その間、ほんとにいろいろな気づきがあり、思うこともたくさんありました。


ブログでシェアしたいなと思ったことや近況、何よりセッションに申し込んでくださっている方へのとりあえずのお返事など書こうと思ったものの、そうしたことについての何かをしようとするとまた不調が出てくる、の繰り返しで、「とにかくいまは完全に仕事から離れること」とのメッセージにしたがい、実はこのポストも、ほんとは11月に入る少し前に書きはじめたのですが途中までしか書けず、今日、ようやくとりあえずOKとの許可が出て、こうして書き進めている次第です。


このことでの気づきは、セッションに申し込んでくださった方、ブログをチェックしてくださっている方たちをお待たせしてしまっていることへの罪悪感、責任感、そして期待にこたえなければならないというある種の義務感、そこに付随するおそれがまだまだ自分にあったということ。

そして、こうした感覚、信念をベースに何かをしようとしても、少なくとも自分はもう無理なのだということを、まざまざと見せつけられている感じです。


以前、長きにわたるこの体調不良がなければ、おそらく自分はもっと適当でいろんなことをぶっちぎって生きていたかもしれないと書きましたけど、実際にそうできていたかは別として、この不調があったからこそ気づけたこと、ほんとにめちゃめちゃあります。


なかでも、ある療法を受けていたときのこと。

いまの感覚のイメージを教えてください、と言われて、出てきたいくつかのイメージのなかに、いまの自分ではない自分の姿が見えました。

それは未来、それも来世ではなく今生においての未来なのですが、何年後とか、時間の単位ではかるそれではなく、またパラレルでもなく、いま、この自分にとってのオルタナティヴな時空間、というのがいちばんしっくりくる、その時空間の未来の自分だったのです。


その自分は、なんというか余計なものがない、心身ともにすっきりとしていて、贅肉がない感じ。

ああトラウマや過去のいろいろなことがなければこんな自分になっていたんだろうな、と、翳りも曇りもなく澄んでいて、もしもこの自分だったら人生全然ちがったなーと、一瞬でその自分での人生が想像できたのでした。


その自分は凛として、いきいきとしていて、自分にとっては非の打ちどころがなく、造作が、というより全体として美しく、こんなひとになったらすごい! と思ったのですが、同時に、いや、それでも自分は、いまの自分が好きだなと思ったんです。


その未来の自分と、いまのこの自分はほぼ正反対で、心身贅肉たくさんあるし、傷もネガティヴな感覚も感情もまだまだ持ってるし、怒りもすれば悲しくもつらくも苦しくもなるし、暴言も吐くし泣いたり笑ったり落ち込んだりと忙しく非の打ちどころアリアリだけど、でも、この、あまりにも人間な自分、いいよ、好きだよと、その未来の美しく素晴らしい自分にはなれなくてもオッケーです! と、思わずこたえていました。


でも、その未来の自分は、わたしにとって、大きくとても大切な存在で、そうした自分というものが存在していること、その資質、性質、成分を自分も間違いなく持っているということ、というよりも、この地球の3次元では別の時空間という概念でしかあらわせないけれど、“オルタナティヴな未来のわたし” というその “状態” は、たしかに “いまのこの自分” 上に在って、そして、それはわたしだけに起こっていることではないということ。


これは、現実とはかけ離れた、苦しいときの気休めみたいなものではないんですね。スピリチュアルな不思議話、みたいなものでもない、リアルなことなんです。


外にある何かを見つける必要、やっぱりないな、って、あらためて思いました。

ほんとに自分って、果てしなく、はかりしれないです。



と、まあ、こんな感じで、日々やっています。

セッションの再開、お待たせして本当に申しわけないのですが、体調の安定も含め、まだ昇華しなくてはならないことがいくつかあり、もう少しかかりそうです。

そのかわり、というわけでもないですけれど、このひと月余りの間の体験や気づきなど、ちょっとずつ書いていこうと思っています(クラスのご感想の続きもまだですね)。


というわけで、ご迷惑ご心配、引き続きおかけしますが、完全にマイペースでいきますので、なにとぞ、よろしくお願いいたします。


朝晩、かなり冷え込んできましたので、ご自愛しつつ、諸々楽しまれてくださいませ☆