リーディングのことを少し。



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今日は夕方、高円寺にある友人のお店にTシャツの納品に行って、ひさびさに晴れたしまだ外も明るいので中野までぶらぶら歩いてみました。

コロナ以前、というか骨折前は友人と会うとほんとによく歩いた、というかわたしの友人たちは目的なく知らない街を歩くのが好きなひとばかりで、

ほっとくと1時間くらいは全然歩いてしまいます。


今日は以前住んでいたあたりや、当時自転車でよく通っていた道を歩いてみたのですが、また車のナンバーがすごかった、もうゾロ目の応酬、それもときどきみる、とかではなく次の車、その次の車、対向車線から来る車、横から車など連続で、

小一時間の間にいったい何台みたのだろう、ゾロ目のナンバーの車って、こんなに多いんだなあとしみじみ。


こうなるともうメッセージというより、「ゾロ目」というひとつのあらわれとしての周波数帯の集まりであって、もちろんそこから何かをとらえてもいいと思うんですけれども、

だとするなら、あえて思考をつかってコミットしたほうがいいんですね、すると意味が発生してわかりやすくなるから。



ところが今朝、自転車に乗ってひさびさに例のパン屋(店長にちょっと詰められました笑)に行った帰りにみた車のナンバーはゾロ目ではなく、また先日書いたような語呂合わせともちがったんです。


具体的に書くとナンバーが特定されるので書きませんが、

ぱっと見では、自分にとっては特にどうということのない数字の並びだったんです。全然わかりやすくないしぴんとこない並び。

にもかかわらず、どうしてもそのナンバーが気になってしまうんです、これ、自分に関連のある何かを含んでいる気がする、と目が離せない、

でも、どう語呂合わせで読み替えようとしてもだめで、なんにもヒットしない。


ところが、数字の前にひらがな1文字あるじゃないですか、ふと思いついてそれを含めて読んでみると、ある会社名になったんですね。

で、その会社名に思いをめぐらせてみると、まさに電球がぱっと点いたみたいに「わかった! あれだ!」と、突然思い出したんです。


それは先月のこと。準備しなくてはいけなかったあることを忘れてしまい、そのときはかわりに友人がやってくれて、もう絶対次回までに準備するから! とあんなにも宣言したのにもかかわらず、完全に忘れていたことだったんです。


これは結構びっくりしましたね、車のナンバーに教えてもらえるとはまったく思っていなかったし(笑)、そこで気づかなければ、また友人に手間をかけさせてしまうところでした。



なんというか、こういうんじゃだめなんですかね(笑)。

自分がリーディングのセッションをやめたのはまずストーリーのこと、そして時間、階層についてのことを知るたびにどんどん求められていること、つまり二元性での視点、

特にガイドやアセンデッド・マスターというものの捉え方のちがいがひろがっていったことが大きいわけですが、

日々暮らしていくなかで、自分としては、メッセージと呼ばれる事象が途切れたことはないんですね。


以前よりさらに自由度が増したし、こだわりもどんどん薄れていったし、わざわざ自らみる、ということをする必要もないし。

まあ、これは以前の感じに戻っただけともいえるのですが、

よく引き合いに出しますけど、ユーミンも歌っているように、ほんと、すべてがメッセージなんですよね。



そして車のナンバーのこと。

これは雲でもにんじんでもキャベツでもいいんですよ、ただどれが自分にとって必要な情報の媒体なのか、に気づくこと、ここがポイントなんです。



セッションをしているときにとても多かったのが、「ガイドやマスターはなんと言っているか、何かメッセージはあるか」というものでした。

わたしはそれが不思議でした。もちろんわかりますよ、でも、なんでそんなにガイドやマスターにこだわるのか。なぜ、わざわざ自分以外の存在が気になるのか。


そして、そもそもそれはリーディングじゃないんですよね^^



リーディングって、そこにある情報をみるんです。ただみる。

たとえばわかりやすいのが、サイキックと呼ばれるひとが、FBIとかで被害者や犯人の持ちものから場所とかをみるじゃないですか、まさにあれですよね、そこにある情報をただみるんです。


以前、自分の見方はどうなのか、ほかのひとはどんなふうにやっているのか知りたくて、ある外国人の先生のトレーニングに参加したときに、

ペアワークで相手の方の家の鍵をつかってリーディングをする実習をしたことがあります。

そういうのははじめてだったのでできるかな? と思っていたのですが、

山の中の空き家とかその部屋の様子、持ち主等々いろいろな情報がヴィジュアルとして浮かんできて、それを相手の方に伝えると、まさにその家の鍵だと。

ああ、これテレビとかでみたことある感じだなーこういうことなんだなーと理解しました。



これがいわゆるリーディングと呼ばれるものなんですね。

ガイドとかマスターとかにわざわざアクセスして情報を得るわけではなく、それ自体の情報をみる。

これは物理的なものに限らず場所もそうだし、エネルギーや非物質的なこと、時空間など対象はあらゆるものです。


もちろん得手不得手もありますし、情報のとり方もそれぞれです。ヴィジュアルもあれば音や匂い、感覚などさまざまです。



つまり自分の知りたいことを限定して聞く、知るだけではないんですね、今朝の車のナンバーのことはまさに自分がすっかり忘れていてやる必要のあることの情報が、たまたま(ではないかもですが)車のナンバーを媒体としてそこにあらわれた、

というのもほんとはニュアンスがちがうんですが、とにかく情報として形成されたものがあった。で、気づいた。



そんなふうに、リーディングというのは限定されたなかから拾ってくるようなものではないんですね。

別の視点でいえば、見出す、といってもいいのかもしれない。

これはカードリーディングとか、車のナンバーもそうだし、媒体を介して見出す、もしくは炙り出されてくる感覚、そこに気づく。



そしてときに情報は、まるで蜘蛛の巣のようにひろがっていくんですね、時間軸でいえば因果関係、過去生、そしてまた別の時間軸などとても複雑です。


だからたとえばキーワードだけがあらわれてくるような場合、それを自らつなげてひとつのわかりやすいこたえ、みたいにしたりということはしません。

特にセッションなどの場合、相手の方をリーディングするときには絶対にしないですね。あえて常識、という言葉をつかいますが、自分ではそう思っていますし、その先生をはじめ、自分の信頼できるひとはみんなそう言います。


なぜなら、そのキーワードが意味することを限定したり固定などけしてできないからです。

過去生やカルマのこと、その他のことを理解していたら、当然わかることと思いますし、そもそも読み手がストーリーを紡ぐというのは、リーディングではないですよね。


リーティングって、何かこたえとか結果を“出す” ものではないんですよね、それは思考です。

みるんです。そこにあるあらゆるものに気づくんです。



そういった意味でいえば、なぜ最近自分が車のナンバーをみているかといえば、ボディスキャンと一緒なんですね。

自分のからだを拡大してとらえてみたら、よくわかると思います^^

ほんとは一緒だから。



と、呼吸のクラスとリーディング、一見するとまったくリンクしないように思われるかもしれませんが、すべてはつながり合ってるんです、別の視点、別の捉え方をするとそう呼ばれるものになる、そういう行為となる、みたいな感じ。


リーディングが特別な能力とかではなく、どんなひとにももれなく備わっている性質、と自分がいうのはそういうことです。

でも、特別だと思いたい、そうでないと困る、と“思っている” ひとがいるのもわかりますが、それも思考に過ぎないんですね^^



と、めずらしくリーティングについてちょっと書いてみました。


書きながら、こういった捉え方のクラスとかだったらやってみたいな、とちょっと思いましたが、やっぱりこれ、呼吸のクラスで結構やってますよね(笑)。



というわけで、また!

日々天候、気温が変わりやすいですが、気持ちが安定しない方、やる気が出ない、だるさがある方、丹田呼吸などやってみてください。

あと、なるべく外に出て、土にふれて。



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