知らないこと、気づくことの豊かさ、起こり続けるものの気配



***6月の呼吸のクラスのスケジュール出ています!



今朝、室内のメンバーの様子をみていると、前の家からずっと水耕栽培のポトスの様子が、引っ越してからイマイチな感じなので、ひさびさにちゃんと花器を洗おうと移動したところ、

なんとウスネオイデス(エアプランツ )の先端に花が!





うっそー咲くとか知らないしなんなのなんなの?? と大興奮。

普段はこんな感じ↓ なので、前にいるメンバーを移動させないと気づかないんですよね。





ちなみに、裏へまわって外からみるとこんな感じ。





これもよくみないと気づけない。



もしかしてほかにも咲いているのでは? と、みてみると、






わかりますか、真ん中の右のほう。


さらに、





真ん中の左側。



そして、これがいつもの視点。






ウスネオイデスに花が咲くなんて全然知らず、予想もしなかったので、驚きとうれしさ倍増でした。


知らないことって、ほんとに豊かだなーと思う、あとから知ることができるもんね。

自分はほんとに必要だと感じるとき以外はあらかじめ調べたりとか全然しないせいか、こうしたことが多いです。

知識はむしろ、自分の感覚や体験の裏付けとか理由を知るとかさらに深めるため、みたいにつかっている気がします。



なんとなく、気配があるんですよね、ふと感じたり、思いついたり。

いのちが宿っていようといなかろうと、その存在の在りか、発するもの、息づいている気配。


なんの先入観も予測もなく、ただそれにしたがってみてみると、

今日はウスネオイデスの花を発見したり、先日は肉体のない男性がいたり。


きのうはきのうで、ひさしぶりにいわゆるハンマーで頭がつん、とやられたようなできごとがあったり。




日々あらゆるものは移り変わり、体験したそばから過ぎてゆく。

いいこと、わるいこと、面白いこと、つまらないこと、

ひとは起こり続けるできごとに意味をつけて笑ったり怒ったりかなしんだりするけれど、

その数センチ先、あるいはもっとずっと遠く、あるいは裏側、上、下、さらに別の表側、

あらゆるところで何かはただ起こり続けている。

その気配に気づく。

そしてまた笑ったり喜んだりかなしんだり。



いい感じの週末を☆



***6月の呼吸のクラス、概要はこちらです。