5月の振り返り・3 無感覚という感覚、ただみてみること。



***6月の呼吸のクラスのスケジュール出ています!



東京はすっかり夏な感じ。

起きてベランダのメンバーの様子を見に行くと、







横からみると、





斜め上方向からみると、






裏側からみると、





たぶん先月の頭くらいだと思うんですけど、売っているのをみつけて、もしかして育ててみたらもっと時間についてわかるのではないか、時間の使い方がうまくできるようになるのではないかというよこしまな気持ちから思い切って苗を購入、

あっという間に咲いたのでびっくりですがうれしい!


去年のいまごろ、もうちょっとあとだったかな? とにかく道でみつけてこのブログにアップしたのが、まさか今年、自分のベランダで開花をみることができるとは、ほんとに面白いですなあ。

あのとき名前を教えてくださった方々、ありがとうございました^^



でも明日、時の記念日なんですよねー(笑)、だったらもっと面白かったのに、と思いつつ、1日早い、というのもこれはこれで、いろんな意味付けができますね(笑)。


ほんと、なんでもいいんですよ、“正解”は自分が決めたらいい。

どこからでも何からでも気づくことができる。


そう思うと、どこもかしこもこたえだらけですよね、ユーミンは目に映るすべてがメッセージとうたっていますがほんとそうですよね、世界はほんとにとてもやさしい。


と、いま思いましたがそれはつまりやはり、すべてがひとつ、それぞれちがう姿かたちだけど同じものだからですよね、姿かたちがちがうからこそわかる、気づく、理解できる、共感し響き合える(いま自分、泣いています笑、そしてスタンディング・オベーション!)。


やっぱ世界やばくね? 最高じゃね???



と、興奮をおさめて、今日も先月の振り返りを。

Kさんからいただいたご感想をご紹介します。



*****



呼吸クラスをありがとうございます。

毎回、ふとしたところに、視点の転換が起きたりで、

日常も、何となく、でも、確かに、軽くなっているのを、実感しております。


呼吸クラスに参加し始めの頃は、

参加すれば、毎回、体も精神もスッキリするのが、嬉しくて、

ワークが上手にできるかなんて、考えもしませんでした。


でも、いつの間にか、イメージワークが上手になりたいなあとか、

感覚を磨きたいなあという思いを持つようになってきて、

体重を手放すワークと、空間と溶け合うワークでは、

それこそ感覚的に、これ、すごいワークだわ、と感じて、

上手にできたい思いが、マックスだったなあと。


で、Ezumiさんが、

感覚抑圧と五感の停止とその先の説明をされたときに、

おお!!!と。

この辺は、まだ、言葉になっていないのですが、

とにかく、すごく、響きました。


ワークの中で、空間を感じたりとかを、上手にできたい思いから、

自分ダメだストーリーが、派生してしまっていたことにも、気づき。

ちなみに、ここ何回かのシェアは、

ワークでの感覚が上手にできたい自分で、言っていたなあと、

書きながら、気づきました(・ ・;)


上手になりたい意図は、持っていてもいいんですよ。

(その上で、)いろいろ出てくる、現れてくるものも、

それもまた、そうしているなあ、と気づいていればいい、

というEzumiさんの言葉。


Ezumiさんは、パン屋さんのお話しとか、

Ezumiさんの(この三次元での)実像を、面白く語ってくれて、共感も湧き、

その中に、私を取り戻す視点も、散りばめられていて、

Ezumiさんを偶像崇拝(大袈裟か?!)することもなく、

へんに依存することもなく、

スッと、コーチというか、その視点が、私の耳に入ってきます。


私の日常も、人間関係では、

Ezumiさんのパン屋さんみたいなことで、大波小波だし、

お金との関係もそうだし、軽くなってきていることも事実ですが、

それでも、色々、持っていかれることも、多しです。

当然、気がつかなければ、

そこから派生する思考が作るストーリーに、

持っていかれっぱなしになるものも、少なくなく。


最近、思うのは、持っていかれているときに、

どれだけ素早く、ああ、持っていかれているなあ、と気付けるか、

というところにいます。


今、そうでしかない自分に気づき、受け入れ、愛してやる。

でも、持っていかれているときは、気づいても、抵抗もありますので、

持っていかれている自分を受け入れるのは、難しいのですが、

抵抗も、抵抗があるなと、見つめてやることを、やってみる。


ただ、それだけをしていると、

いつの間にか、自分にしっくりする being

(今の私は、平和さとか、WinWinが、しっくりします)に、

切り替わっていっているような、感じもあって・・・。


全般的に思考が作るストーリーに、

持っていかれっぱなしの傾向なところを、

自分の感覚をみて、気づき、問うことは、また、

新鮮でもあり、楽しいことだなあと。


それはまた、今にあることの、全てさに、

繋がっているのかなあと、予感しています。


世界は、見えている通りではない。

by Ezumin


呼吸クラスで、Ezumiさんの、いろいろなワークを通して、

自分の感覚を、つぶさに見ていけるのは、

ありがたいなあと思います。


そうそう、録画ですが、

ワークを再度やらせて頂いたり、

Ezumiさんや参加者の皆さんのシェアを聞かせて頂いたりして、

毎回、とても助かっておりますが、

今回は特に、見るたびに、新たな理解と洞察があります!


Ezumiさんと皆さんに、感謝!

来月も、楽しみです。

どうぞ、引き続き、宜しくお願いします。


*****



5月のワークは、感覚と解釈、意味、そして分離というものについても大きなテーマになっていたんだなあと、こうしてご感想やクラスのシェアリングを通して気づきました。

ほんとに自分は緻密に何かを考えて組み立てて、ということはできないし、そうすると結局はこのようにできてもらわないとだめ、というコントロールになってしまいがち。


でも、自分のやりたいことはまさにそれとは対極のことで、別にわたしが考えたかどうかなんてどうでもよくて、あとでわかればいいし、わからなくてもいいし、

起こってくる何か、について自分がどう感じているか、何に気づくか、

それが“いま” を経験し続けることなんですよね。


いまここ、とかいうと、なんだか非日常的な輝ける状態みたいな場、みたいなイメージ、それは“いまの自分”にはわからない、到達できない場所、のように思われているふしがありますが、じゃあその、いまの自分は、どのあたりの自分なんでしょうか。

いまの自分の“いま”と、いまここの“いま”はどうちがうんでしょう。


そもそも“いま”、っていつ訪れるんでしょうか。

さらに、あと何をしたら完璧な自分になれるんでしょう、それはいつのことなんでしょう。



呼吸のクラスで何をするのかは、ほんとに自分でもあまりよくわかっていなくて、

去年にくらべたらまたずいぶん変わっている気もしています。自分の意識がだいぶ変わったので当然なんですが、

ただわかっているのは、「評価は無効」「がんばって得ない」「何も目指さない」「ただ気づく、感じる」ことですね。


上手になりたい、できたい、すごいよくわかります。

けれど、たとえば上手に感じる、ってどういうことなんだろう。

たとえば呼吸、ときどきお伝えしますが、この世界で自分の呼吸がいちばんすごい、とたとえ思ったとしても、それ、誰が“判断”できるのか、ということです。


何かを感じることは自分にしかできないし、“判断”できないですよね。

頭をつかって解釈したらもうそれは感覚ではなく純粋な体験でもなくなってしまいます。


この感覚、感じること。

自分は感じることができなかった、わからなかった、とがっかりされる方が多いですが、できなかったと感じているし、わからなかったと思っている、つまりそれを行うことによって、しっかり自分になんらかのことが起こっていることには気づいているわけです。


でも、最初に自分が評価や何かを得る、目指す、という“目的”や“結果”を設定しているので、できる/できないという概念が発生する。


この感覚、感じること。

とても多くの気づきをはらんでいると思うんですね、無感覚、ということひとつとってもとてもいろいろな示唆がありますよね。


感覚を感じられないことが何かよくないことのように捉えられている、まずこの出発点によって、体験(厳密には解釈によって)が変わってくる。

何も感じなかった、それはほんとうに? という話です。


無感覚と感覚の抑圧、そして五感外の体感覚、これらはどんな感覚を感じたか、と同様、言葉で説明できないし、共有することもできないとは言い切れませんが、稀だと思うんです。


そして、何も感じられなかった、という方にこそ、その“無感覚の感覚”を、もっともっとただただみてみてほしいんです。

“感じられなかった” という“判断”はよそにおいて。

ご自身に起こっていることを、もっともっと楽しんでほしいんです。

視点を変えてみる、ってそういうこと。




「世界は、見えている通りではない」というのは特にわたしの語録みたいなものではなくて(笑)、物理学者の方こそ全然おっしゃっていますし、時間のこと、空間のこと、その他ジャッジをはずしてただ観察していれば、おのずとわかることなんですよね。


別に特別な技術やちからとか不思議、とか一切関係ないので、ただみてみてください。

よーくみてみてください。意味も解釈もこうかもしれない、も全部ぶっ飛ばして、

ただただみてみてください。

条件、資格、いらないですから^^



それから、わたしはいちおう生きているので、偶像ではないですね(笑)、崇拝しないでください(笑)。


スピリチュアルなことって、ほんとにおそろしい側面、たくさんありますよね。

何か不思議体験があって、その体験や知識その解釈を誇張させて壮大に語り、これはこういうものだ! と言い切ってしまうと何かすごいことを言っているようにみえるし、

これはスピリチュアルに限りませんが、特にみえない世界のことは“すごいもの、ひと”にみえやすいですよね。


わたしはなるべく自分の考えや体験を装飾したくないというだけかもしれません。

それに、ほんとにいろいろみていくと、というか、スピリチュアル、という観点でみるなら余計に、「これはこういうもの」と、言い切ってしまうことなどできないことがどんどんわかってくると思うんです。


あと、ほんとにいろんなことが起こるので、そのたびにすげーと思うことはあっても、それはもう過ぎ去ります。

自分にとって世界はただただ面白く、こんなヤバイことに遭遇させてくれてサンキュー! という思いが湧き、ときに溢れ、そして記憶に残ることもあれば忘れてしまうこともある、そんな感じです^^


むかしはあったかもしれないですね、こんなすごい体験する自分すごい、とか。

いまもエゴは言うかもしれない。

でも、信じてもらえないことも多いですしね、そしてすごい体験をする自分がほんとにすごいのかどうかも、よく考えてみればわかりませんよね(笑)。

それ、誰の価値観なんだと。


そもそも自分、クラスではお話ししていますが、カスタマーセンターの対応にイラついたり、パン屋さんにしかられて落ち込んだりしてますから(笑)。



そういえば、先日自転車であるエリアを走っていて、ふと気配を感じてみてみると、「このあたりは、むかしたくさんひとが死んだんだよ」と、人間の肉体をもっていない男のひとが教えてくれました。


「戦争ですか?」と聞くと、

「うん、戦争と震災」とかえってきました。


いろいろなことが起こります。

自分にとっては、カスタマーもパン屋さんもこの男性も、全部自分に起こる日常のあれこれです^^




と、ほんとにご感想やシェアリングで、いろいろ思うこと、気づくことがあり、もっと書きたくもなりますが、きりがないので、また別の機会に。


みんな、それぞれのリズムでいくんだし、それをどうこう言う権利は誰にもないですよね。

花は今日咲きたければ咲くんだし、

と書いて、植物のことで思ったことがあるので、またいつか書けたら書きます。



めっちゃ長くなりましたが、Kさん、ありがとうございました!

シェアリングって、別にいいことを言う場ではなくて、

自分はこんなことを感じた、こう思ったけどどうなん? でもいいし、

ただこれを言いたかった、ただ聞いてほしい、

話すの苦手だから練習、

なんでもいいんですよね、むしろ飛び道具のようなご質問や感想のほうが、

盛り上がったりしますしね(笑)。



というわけで、また。


今月のクラスの初回は、思考、主に不安やネガティブな感情のメカニズムと、なぜ呼吸なのかなど、資料をつかって説明をしてますので、ワークについて、ちょっとわかりやすくなるんじゃないかなと思います。


土曜日クラスは今週が初回、平日クラスのリアル参加は終わってしまいましたが、通し、もしくは2回をお申し込みくだされば録画参加可能ですので、

興味のある方、いらしてみてください。


それでは!



***6月の呼吸のクラス、概要はこちらです。