苦手だと感じること、それは花ひらく何かかもしれない。



☆☆☆呼吸のクラス4月、受け付けはじまっています。詳細はこちらから



先週、友人に誘われてはじめて洗足池に行ったのですが、すごくよかった。




ちょうど花まつりの日で、どっかにお寺ないかなーと思っていたら、まんまと発見、無事

ブッダに甘茶をかけることができました。





コロナの影響なのか、ここはやらないのかわかりませんが、振る舞いはなくてちょっと残念。毎年できる限り甘茶かけにどこかのお寺に行くようにしています。

去年は骨折で動けず、タクシーで行こうかなと思ったくらいこの行事が大好きなのです何故か。





この台や飾りがまたいいんですよね、お寺ごとに装飾がちがって、お寺の方がそれぞれやるわけじゃないですか、ここにこう飾ろうとか考えるのかなと想像するともうグッときます☆

いつか梯子したいですね、花まつり梯子。


そして土の上をのんびりゆっくり歩くこと、目的もなく街をぶらぶらすること、何を話したのかまったく覚えていない、他愛のないおしゃべりなどなど、

何か目指すこともしない、ただそこを通り抜けてゆく風のように過ごすことが、自分にとってすごく大事なのだなあと感じた1日でした。



さて、また少し先月の振り返りを。

インナーチャイルドの回を終えてのYさんからのご感想をご紹介します。



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父の入院で電話が鳴る度ドキッとする毎日を送っているので💦 今日、地球と繋がる呼吸をしたとき(丹田呼吸)自分に戻ったようでほっとしました。ずっと世界から切り離されたような感覚でしたので。


これまで私のインナーチャイルドは無口だなと思っていたのですが、緊張して人前で話ができないことと関わりのあるインナーチャイルドが初めて出てきました。

黙って宝物(大好きだった木と空想のペット)を見せてくれて、一緒に描いたりしたのをシェアをしようとしたのですが、頑なに拒否されました💦

元々私は煩いくらいのおしゃべりだったはず。と掘ってみると出てきました。

この子としばらく向き合おうと思います。


呼吸って不思議ですね。

息をするだけで体とも地球ともインナーチャイルドとも前世とも繋がれる。

丹田呼吸で地球と繋がった時の大きなあたたかいエネルギー、インナーチャイルドの宝物の木の中にも流れていて嬉しかったです。


Kさんが仰るように私もえずみんさんの誘導がよかったと思いました。えずみんさんの声が好きなのだと思います。あたたかい、安心できるような、荷物をおろせるような。


あ、もうひとつ。

実は数日前、地に落ちた自己価値にデッドエンドにきたような思いでいた私でしたが、録画を見て号泣💦 目から鱗どころか脱皮したような気持ちでいます。

自分が抱いている無価値感を絶望的な思いで見ているだけで、それは自分ではないのだと。


次回も自分のペースで進みたいと思います。

ありがとうございました。


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3月はアートセラピーの手法をつかったワークをとり入れてみたのですが、言葉をつかわずに表現するほうが得意な方、あるいは言葉のほうが出てくる方、ケースによってちがったりなどいろいろでした。

また、絵を描くのが苦手、という方も何人かいらっしゃいました。


同時に、感情や感覚を感じること、つまり自分が何を感じているのかに気づくことを難しく捉えている方が多いなという印象です。

感じるのではなく、“頭で判断” してしまうんですね。

そのことに、なかなか気づけない。



たとえば、いまの感覚、感情を描いてください、と言っても絵を描く、つまり作品や目的をもった何かの形に仕上げようとする、すると自分は絵を描くのが苦手、嫌い、などの思いが出てくる。


出てくるのは出てくるものなのでいいんです。

でも描くのは絵ではなく、“感情”や“感覚”、それは上手下手のない世界、うまくできたとかできない、という判断とは関係がないんですね。


いまの気分は何色だろう? と考えてピンクを選んでも茶色を選んでも黄色でも青でも黒でも、どれがいいも悪いもない、優れているわけでも劣っているわけでもない。

けれど、どう描いたらいいんだろう? と考えてしまったりする。


そこにはやはり、比較、評価というものがもう前提になっているんですよね、無意識に。

そのことに慣れてしまっている、というか自覚なく反応してしまう。

そもそも学校教育がまさにそうだし、家の中でもそうだしあらゆる関係性がそう、

自分が自分のまま、そのままにいることが許されない環境にあることを、あらためて感じます。



よく自分らしく、と言いますが、そもそも何が自分なんだと。

これだけ評価され、認められなければ、誰かに勝とう勝たなければという意味のない、むしろ分離感だけがつのるがんばりや競争意識が勝手に育まれていくような環境で、どうやって自分を知るというのか。。

その難しさを、呼吸のクラスをはじめてからますます痛感します。



自分が(誰かより)すごいと感じなければ、自分に価値を見出せない “世界観”。

自分のやりたいことをやって生きる、これさえも枷になってしまう。

やりたいことを見つけなければならない、という枷。

やりたいことで生きていかなければならない、という枷。



Yさんは、人前で話すことが苦手ということですが、シェアリングなども、呼吸のクラスにご参加の方だけでなく苦手な方がたくさんいらっしゃると思います。

こう見えて、わたしもどちらかといえば苦手なほうです。いろんな話をしたい、という思いがありつつ、場所によってはなんにも話さずじっと黙っていることもあります。


そしてご感想の中で誉めていただきましたが瞑想の誘導。

平日クラスのシェアリングでおっしゃってくださった方がいらしたのでお話ししたんですけど、わたしはほんとに誘導がものすごく苦手でした。

それで諦めたこともいくつかあるし、去年、呼吸のクラスをはじめたばかりのときもまだ苦手で、なんというか自分を責める声がすごかったです。


たとえば、

お前に誘導なんかできるのかよ? とか、ひとを誘導するなんて何様だよ? とか、お前は誰かを誘導できるような人間なのかよ? とか。


こうして書いてみると、なんともすごいなあと思うし、そもそもこれを言っているのは “誰” なんだと。


いまは瞑想などをリードすることに対して、苦手意識というより、参加者のみなさんにこのここちよさ、静けさを味わってほしいという気持ちや、そのためにもいかに純粋意識に入れるか、という風に意識が変わりました。

というか、視点を変えたんですね。


おかげで、あんなに苦手だった誘導をこうして誉めていただけるようになったし、先月無事マインドフルネスのインストラクターの講座を修了したのですが、試験での誘導瞑想も誉めていただいたり喜んでいただけて、すごくうれしかったです。



苦手なことは、ほんとうに苦手なのか。

もしかすると、それはまるでダークホースのように思いがけず花ひらく何かかもしれない。


でも、誰かのこころない言葉、態度で「苦手(自分はこの行為が嫌い、あのときの嫌なことを思い出すから)」というラベルを貼って閉じてしまっただけなのだとしたら、

まじもったいないなくね???  

と思うんです。



そして後日、Yさんからいただいたメール。



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えずみんさんのクラスで、私は自分にある人前で話せないトラウマ?のようなものを認識できました。

受けていなければ、それができない自分を永遠に責め続けていたことと思います。

いつかの自分がそのときの恐怖で握りしめた手の中にあったもの、無価値感という自分で自分にしたジャッジに囚われ続けなくて良いことに心から安堵と感謝を感じます。


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Yさん、ありがとうございました!

これからも、どんどん自分をみて、感じていきましょう!



それではまた。

自分を知ること、みてあげること、

そしてここちよく過ごさせてあげることより大事なことって、ないかもしれないですね。



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