勝手に、自然に、自由に動きせしめる。



引っ越しが済んでから毎日いろんな手続きと部屋づくり、夜は動画を見たりゆっくりお風呂に浸かって本を読んで寝るというルーティンがなんとなくできてしまって、気づけば3月も終わり。

きのう今月の呼吸のクラスが終わって、来月のスケジュールを立てなければ、ブログも書いたりしようかな、とのこのこ出てきました。


引っ越した家は、いままで住んだどの家より快適かも、、という感じ。

妥協した点はいくつかあったものの、この広さと条件にしては家賃もそんなに高くないし、とりあえず満足しています。


特に今回譲れなかったのは、上の階に誰も住んでいないこと、隣となるべく距離があること、あまり新しい物件ではないこと、住戸数が少ないこと、そして広いベランダがあること。


いま、ベランダにテーブルを出してこれを書いているのですが、とりあえずベランダは3面あるので、これから少しずつ、いろいろやるつもりです。めっちゃ楽しみ。。





まだ以前の家に住んでいるときに、呼吸のクラスで歩く瞑想というのをやったんですけど、自分もみんなと一緒にやっている途中で、はじめてみるように自分の部屋を眺めてみて、

ああ自分、適当だなー、いろいろ適当に選んでるなーと気づいて結構衝撃を受けたんですよね(笑)。

で、引っ越したら、時間はかかってもいいからきちんと選んだもの、すべてそうできなくてもいいから、できるだけ納得したものを置こう、使おう、と思ったのでした。


そうやってまた自分のものをみてみると、これは母親の影響だな、とか、安さを基準に選んでるな、とか、その出所がみえてきて、

同時にすごく自分が気に入って買ったものとの差とか、ものというものの考え方とか自分の習性が浮き彫りになってショックを受けたり自分かわいいなと思ったり、

仕方なかったよねーと励ましや労りの気持ちが出てきたりと、また自分を知るきっかけになりました。


そうそう、きのうの平日クラスでは、ドラマ『24 JAPAN』を例にとって“いまここ” “コミットと信頼” “DoingとBeing” “時間の概念” などについて話してみたんですけど(というか自分が24 JAPANになってしまっていて興奮していただけなのですが笑)、

ほんとに、どんなことからでも気づくことができますよね。


それはあらゆるものがひとつで同じで、どんなものにも、というか、すべてが“そのあらわれ” だからだと思うんです。


最近よく神は細部に宿る、というワードを思い出しますが、細部に宿っているというよりも、すべてにあらわれている、という感覚がしっくりきます。


ほんとにすべてはシンプル。

何も難しく考えなくていいんですよね。


ただ、いま起こっていること、それだけ、そのまま、何もせずにただ立ち止まって、

そして自分が、世界が動いていく、勝手に、自然に、自由に動きせしめる、という感覚。

“わたし” は何もしようとせず、する必要もなく、むしろ手を出さずに。



そんな感じで、また!

来月のスケジュールなどは後日に。